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伊能忠敬『測量日記』

八月二十一日

 晴天。同所に逗留して測る。六っ半
(午前7時)頃に出立した。

 市中の八幡町の三辻。昨日残した印より初める。左は長崎村。禅林寺の境内。右の片側は長崎市中、八幡町。左に臨済宗河東山禅林寺。右横町は八幡町。左は浄土宗深祟寺(住職は十代・一乘)。木戸。右側は麹屋町ばかり。木戸。左は浄土宗万年山三宝寺(住職は十三代・裕譽)。同じく東雲山淨安寺(住職は十四代・元譽界快道)。左は無本寺東明山興福寺(当時は監寺はいない)は唐人の寺である。右に興福寺の庵がある。木戸。御代官高木屋敷前へ出る追分けにの印を残す。

 今紺屋町(現在は麹屋町に含まれる)。右横町の右は今紺屋町、左は中紺屋町(現在は諏訪町に含まれる)。中紺屋町。木戸。新橋町(現在は諏訪町)。右横町は新橋町通り、左は真言宗延命寺(住職は十代・孚雄)。木戸。諏訪町。右横町は諏訪町本通り。左は法華宗長照寺(住職は十七代・日妙)。木戸。磨屋町(現在は諏訪町と古川町)の三辻。印を残す。

 木戸。銀屋町
(現在は古川町)。左は臨済宗海雲山晧台寺(住職は十七代祖玄)、御朱印一万千六百七十七坪。右横は銀屋町本通り。木戸。これより左右は市中(ここまでの寺側、すなわち左側は長崎村になっていた)。左は出来鍛冶屋町(現在は鍛冶屋町)、右は今鍛冶屋町(現在は鍛冶屋町)。右横町は今鍛冶屋町横町という。四辻。右は今鍛冶屋町横町、左は出来鍛冶屋町。印を残す。

 三辻に印を残す。

 左横町の左は今石灰町
(現在は油屋町)、右は新石灰町(現在は油屋町)。右横町は万屋町。四辻に印を残す。

 思案橋の手前、左右の川沿いは片側が町(手前の岸は家が並び、向こう岸の川沿いは道であることを言っている)。思案橋は巾六間三尺(11.82m)。左右は本石灰町。左に本石灰町横町。印を残す。

 右横町は浜崎
(現在の思案橋グルメ通り付近)という。舟大工町。木戸。左横町は丸山町遊女。二重門(現在はない)迄、三十間(54.55m)ばかり。それより遊女の町である。左横町は舟大工町。三辻に印を残して打ち止め。一十一町一間三尺(1,202.73m)

 又、二股川尻の海辺の江戸町(この海辺だけが離れてはいるが江戸町内になっていた)印を残して初めて、川沿いを測る。右横町は築地に行く西浜ノ町(現在は銅座町)。右に久留米屋敷。左の長久橋(文化1年の洪水で流されたが文化2年に架け替えられた)の前に印を残す。

 右は西浜ノ町横町。
印を残す。

 右は町年寄の久松源兵衛屋敷
(久松善兵衛の誤り)。四辻。右は西浜町本通り(現在の浜町アーケード街)。左の大橋(現在の鐵橋)の手前に印を残す。

 四辻。右は万町
(万屋町)本通り。左の石橋(現在は万橋)の手前は万屋町。榎津町(現在は万屋町)の四辻。右は榎津町本通り。左の石橋(現在は賑橋。現在は電車の橋と平行に架けられて向きが変わっている)の手前に印を残す。

 四辻。右は本古川町
(現在は古川町)。左は石橋(現在は常磐橋)の手前。木戸。西古川町(現在は古川町)。右横の町は東古川町(現在は古川町)。四辻。右は銀屋町。左の石橋(現在は袋橋)の向こうは袋町(現在は栄町)。四辻。右に磨屋町。左の目鏡橋(眼鏡橋)手前に印を残す。

 木戸。諏訪町の四辻。右は諏訪町本通り。左の橋
(現在は魚市橋)の向こうは今魚町(現在は魚の町)。新橋町の四辻。右に木戸、新橋町本通り。左の橋(現在は東新橋)の向こうは本大工町(現在は魚の町)。木戸。中紺屋町の四辻。右横の町の右は中紺屋町、左は今紺屋町。左の橋(この時は今紺屋町橋。現在はささ原橋)の向こうの右は今紺屋町(現在は桶屋町)、左は中紺屋町(現在は魚の町)。本紙屋町(現在は麹屋町に含まれる)の四辻。右は紙屋町横町。左の橋(現在は一覧橋)の向こうは桶屋町。印を残す。

 四辻。右は紙屋町横町。左の橋
(現在は古町橋)の向こうは古町。四辻。右は本紙屋町横町。左の橋(現在は編笠橋)の向こうは今博多町。四辻。右横町は名がない。左の橋(現在は大井手橋)の向こうは大井手町。左は二股川の落ち合い。八幡町。右は八幡町本通り。四辻。左の橋の向こうは伊勢宮(この時の宮司は十代・島男佐磨正重)の門前。右は修験大覚院(当時の住職は七代・圓成)。阿弥陀橋の元に昨日残した印に繋げる。一十二町四十二間(1,385.45m)。臨済宗河東山禅林寺で昼休み。

 又、飛んで麹屋町の
印より初める。御代官高木屋敷へ向かって測る。左右は麹屋町。四辻。左右は麹屋町本通り。木戸。紙屋町の四辻の印に繋げる。

 二股川石橋
(一覧橋)九間(16.36m)。木戸。桶屋町。右横町は古町。左横町は今紺屋町。四辻。右横町の右は古町、左は勝山町。左横町は今紺屋町。木戸。勝山町。右の御代官屋敷前に昨日残した印に繋げて終わる。四町三十二間四尺(495.76m)。

 又、飛んで西上町に昨日残した印より初めて本通りを測る。四辻。右横町は西中町横町。左は筑後町横町。四辻。右横町は西中ノ町。左横町は下筑後町。四辻。昨日残した印に繋げる。

 右側は西上ノ町。左側は東上ノ町。四辻。左右の横町の左は東中ノ町、右は西中ノ町。木戸。左右は恵美須町。右横町は恵美須町本通り。小川町
(現在は桜町)。左横町は小川町通り。右横町は舟津町本通り。木戸。豊後町。右横町の右は新興善町、左は後興善町。左横町は内中町。四辻。昨日残した印に繋げる。

 右横町は新町本通り。木戸。引地町の四辻。左右は引地町。本通り。右横町は引地町裏通り。木戸。酒屋町
(現在は栄町)。左は堀端横町。四辻。右横町は袋町。左は今魚町。左に町年寄の福田十郎右衛門屋敷(現在は魚の町。第一生命ビル付近)。木戸。左右は酒屋町の川岸通り。目鑑橋を渡り、巾八間(14.55m)。磨屋町。四辻。印に繋げる。

 木戸。四辻。右横町は銀屋町。左横町は諏訪町。左に町年寄の薬師寺久左衛門屋敷
(現在の諏訪小学校)。右横町は銀屋町の裏町。晧台寺下の印に繋げる。一十一町四間一尺(1,207.58m)

 又、飛んで右に今紺屋町(今鍛冶屋町の誤り)、左に出来紺屋町(出来鍛冶屋町の誤り)の三辻、印より初める。石橋(現在は暗渠で橋はない)三間(5.45m)。木戸。榎津町。四辻。右横町は本古川町。左横町は万屋町。四辻。左右横町は上と同じ。四辻。左右横町は前と同じ。木戸。四辻のの印に繋げる。

 石橋
(現在は賑橋。)九間(16.36m)。材木町。四辻(現在は賑町)。右横町は材木町裏の川岸通り。木戸。左横町の左は東築町(現在は築町)、右は西築町(現在は築町)。四辻。右横町は本紺屋町。左横町は西築町。木戸。今下町。石橋(現在は暗渠で橋はないが、小川は中央公園の側を流れている)一間(1.82m)。四辻。左右横町は今下町本通り。右は天満宮社(戦前までは地方法務局合同庁舎の敷地にあったが、現在は大音寺坂下にある)の三辻。左は島原町。本博多町。左に町年寄の後藤庄左衛門(後藤惣左衛門の誤り)屋敷(現在の地方検察庁付近)。三辻。真っ直ぐは新橋通り。四辻の印に繋げる。

 左右の町は前に測り済み。左横町は平戸町。四辻。右横町は堀町。左に本五島横町。今町
(現在は金屋町に含まれる)。四辻。右横町は金屋町。左横町は本五島町横町。右横の町は名はない。四辻。右横町は今町。左横町は舟津町。左横町は本五島町本通り。左は五島町。右は舟津町。印に繋げる、九町一十三間四尺(1,006.67m)。総測一里一十二町三十四間(5,298.18m)

 八っ半時頃(午後3時頃)に宿へ帰る。この夜は晴天で観測する。


背景の地図は、長崎市長の承認を得て、同市発行の1万分の1地形図を複製したものです。
※長崎市都市計画課承認番号 長都計第10号 平成21年4月9日
禅林寺 深崇寺
三宝寺 浄安寺
興福寺 長照寺
晧台寺 思案橋跡
長久橋 二股川の落ち合い
天満宮社(天満坂の下に移る) 天満坂(大音寺坂)深堀騒動で有名な坂

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