Home  >>十一月二十二日

伊能忠敬『測量日記』

十一月二十一日

 終日曇天。

(本隊)
 我等(われ、つまり忠敬自身。この時67歳)・今泉(今泉又兵衛・天文方下役。この時12歳・シーボルト事件で処罰される)・門谷(門谷清次郎・天文方下役。この時29歳・シーボルト事件で処罰される)・尾形(尾形慶助・内弟子。この時27歳)・甚七(棹取り)は高来郡戸石村(長崎市戸石町)属牧島(牧島町)。字臼ヶ浦(臼ノ浦)印より初める。右山に廻る。字シンツウ島。印迄、三十三町三十九間(3,670.91m)

 瀬続きの津島へ渡る。瀬戸の巾二町四十八間(305.45m)。津島は一周四町一十二間一尺(458.48m)

 又、印より初める。字黒瀬鼻にて別手と合同で測る。八町二十八間三尺(924.55m)。牧島半周は一里六町七間三尺(4,595.45m)

 又、地方(じかた)の田結村(北高来郡飯盛町里名)字魚見の印より初める。枝池下(飯盛町池下名)の入江の巾六間(10.91m)ばかり。印迄、六町一十五間(681.82m)

 すぐに沿海。入江の片打ち(入江や島などの形がほぼ対称である場合は、測量速度を上げるために片方を測量してその全体の形を把握していた)一町五十間(200m)

 又、印より初める。戸石村枝船津。戸石川巾六間(10.91m)。彼杵郡矢上村(長崎市矢上町)字瀬越で両手は順に逆に合同で測る。三十二町四十四間四尺(3,572.12m)。沿海は一里二町五十九間四尺(4,253.94m)。外に片打ちが一町五十間(200m)。総測(総測量距離)二里一十七町五十七間二尺(9,813.33m)

 矢上村へ七っ後(午後3時過ぎ)に着いた(通常は日の出とともに測量へ出立し、ほぼ午前中で測量を済ませて止宿へと向かった)


(手分け)
 坂部(坂部貞兵衛。天文方下役。この時41歳。福江で病死する)・永井(永井甚左衛門。天文方下役。この時36歳。シーボルト事件で処罰される)・箱田(箱田良助。内弟子。榎本武揚の父)・保木(保木敬蔵・内弟子)・佐助(久保木佐助。棹取り)は戸石村を六っ前(午前7時前)に出立した。牧島字臼ヶ浦の印より初める。左山に廻る。字地蔵鼻。字向ノ浦。字切宮の印迄、二十九町二十七間(3,212.73m)

 地方へ渡る。瀬戸の巾一町四十五間(190.91m)。戸石村字湯穴にの印を残す。又、印より初める。野陣で小休止。字戸ヶ瀬。野陣で小休止。穴弁天。行程一町(109.09m)ばかりの内、弁天並びに石地蔵が数体ある。字黒瀬鼻。両手は合流して測る。一十八町四十三間(2,041.82m)。牧島は半周一里一十二町一十間(5,254.54m)。一周二里一十八町一十七間三尺(9,849.99m)

 又、地方の彼杵郡御料所高木作右衛門支配の日見村(長崎市宿町)。字比井切の海辺に御用杭を残し、佐嘉領矢上村を逆に測る。野陣で昼休み。字東房(東望)浜の印迄、九町一十三間五尺(1,006.97m)

 洲鼻の片打ちが三町三間(332.73m)。又、幟に繋げる。二十間三尺(37.27m)。
 又、印より初める。枝東房(東望)印迄、六町(654.55m)。長崎街道へ二十一間(38.18m)打出して印を残す。

 又、印より初める。田ノ浦川尻(中尾川)は巾九間(16.36m)。八竜川尻(八郎川)は巾二十七間(49.09m)。枝大星。枝蛎(カキのルビあり)道字瀬越。順に逆に両手は合流して測る。一十八町四十三間四尺(2,043.03m)。沿海を逆に測った合計が三十三町五十七聞三尺(3,704.55m)。外に横切りの合計が三町四十四間三尺(4,08.18m)。地方の合計一里一町四十二間(4,112.72m)。総測二里十五町三十七間(9,558.18m)

 それより一同乗船して宿(長崎市矢上町)へ着く。この夜は曇天で測れない(夜は天文測量により現在地の緯度・経度を求めていた)。大村上総介(大村純昌)の内の福田直三郎と波多瀬兵衛が来る。

矢上
背景の地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものです。
※国土地理院承認番号 平14総複、第253号 平成14年10月9日

魚見・下ノ島・上ノ島 (写真1)

穴弁天 (写真2)

Home  >>十一月二十二日