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鍋冠山について


鍋冠山を「なべかんむりやま」と読む人が多いのですが、「なべかぶりやま」と読むのが正しいのです。

長崎名勝図絵では「覆鍋山」と書かれていますが、 これは現在の読みでは「鍋覆山(なべかぶりやま)」となります。

大浦にある誠孝院の山号は「冠鍋山」となっています。これも漢文体で書かれているので、「鍋冠山」となります。

これは「鍋かぶり上人」と呼ばれた日蓮宗の日親上人の故事からと、鍋かぶり山の姿からきた呼び方だと思われます。

「鍋冠山」の字は「なべかんむり」と読んでしまいがちなので、「鍋かぶり山」と表記されるように希望します。

 

江戸享和の古地図を見ると、「ナベカブリ山」と書かれています

ナベカブリヤマ

 

同じく江戸延享年間の古地図では「鍋かぶり山」と書かれています。

鍋かぶり山

 

宝暦十四年の古地図では「ナベカブリ」と書かれています。

ナベカブリ

 

この江戸地図には「鍋被山」とかかれています。

鍋被山

 

明治時代の古地図には「ナベカブリヤマ」と書かれています。

ナベカブリヤマ

 

下も明治の古地図ですが「鍋冠山 Nabekaburiyama 俗称遠見八景」と書かれており、

「冠」を「かぶり」と読むことができます。これが決定的な証拠になります。

Nabekaburiyama

以上のように古地図を見ると、すべて「なべかぶりやま」と書かれており、

「なべかんむりやま」と書かれた地図は一枚もありません。

大浦に古くから居住する人たちは、江戸時代から「なべかぶりやま」と呼んでいます。