<2018年10月> 南側から見る光景です。ドルフィン桟橋手前(野母船の船尾からロープを渡していた部分)の上部コンクリートが薄く剥がれています。 比較写真 <2008年撮影> 上陸観光船用に改修される時のドルフィン桟橋の光景です。ちなみに、「週間朝日」(朝日新聞社 昭和37年4月27日発行 第67巻第19号)では、非常に小さくですが、昭和37年初め頃と思われるドルフィン桟橋工事中の写真が掲載されています。 |
<2018年10月> ドルフィン桟橋と島を結ぶ橋の部分ですが、手摺の部分が壊れているようです。ちなみに、島に人が住んでいた頃とは異なり、上げ下げ式ではなく固定式の橋となっています。また、ドルフィン桟橋の部分ではコンクリートが薄く剥がれているのがお分かりいただけるのではないかと思います。 <2018年10月> ドルフィン桟橋左端上部が被害箇所で、コンクリートが薄く剥がれています。 |
<2018年10月> 東側から見る光景です。 <2018年10月> 北側から見る光景です。私の目には、被害箇所はないように思われました。 |
<2018年10月> 昭和10年代最後の頃に使用された積込桟橋の土台です。昭和20年代の使用があったかは不明です。 土台正面にある意匠部分の拡大です。 |
<2018年10月> 閉山まで使用された石炭積込桟橋の土台です。上段の土台よりも数年前に設けられたようです。なお、土台の先には端島小中学校の校舎が見えています。 同じように、土台正面にある意匠部分の拡大です。ドルフィン桟橋や上段土台の陰になり南部からの荒波が強く当たらなかったせいでしょうか?、それとも途中補修が行われたのでしょうか?、ほんの数年ですが古いはずのこちらの土台の意匠の方が摩耗が少ないようです。また、デザインも若干違うように思います。 |
<2018年10月> 写真中央に写る端島神社の神殿ですが、その形を留めていました。 <2018年10月> 学校7階は、元々、崩壊の度合いがひどかった部分です。数年前と比べると天井の裂け目が気になります。 |