31号棟
最終の31号棟 : 昭和32(1957) 鉄筋コンクリート造6階 鉱員社宅
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《昭和33年頃の端島・31号アパートが新築されて間もないころ》
<写真は、「端島(軍艦島)」(平成16年)より高島町教育委員会の許可を頂き転載> 写真中段左端の「く」の字の形をした白い建物が31号棟です。住居以外にも地下に共同浴場、1階に郵便局がありました。また、昭和40年代と思いますが、1階に理容院、屋上には2階建ての鉄骨プレハブの住居が設けられますが、屋上の住居は閉山間際に火災に遭います。
また、郵便局の記録としては、
「町村を廃し町を設置することについての申請書 (関係町村 西彼杵郡高島町、西彼杵郡高浜村)(昭和三十年二月十日)」に、郵便平均(一日当り)、発信190、受信151の記載が残っています。
<写真は島の先輩より> 31号棟の昭和館側の出入口です。ポストや最終時のボタ捨て用のベルトコンベアの姿が見えております。また、少しですが、31号棟と昭和館との間の護岸寄りにあった建物の姿も見えております。
<2006年撮影> 端島での撮影ではなく長崎市内で見つけたポストですが、31号棟1階の郵便局側出入口にあった郵便ポストと同型のポストです。ちなみに、端島のポストはコンクリートの丸い土台部分がもう少し高かく、その土台に乗ってポストの周りを回って遊んだ記憶があります。
<村里 榮 氏撮影> 正面の建物が31号棟です。左側の擁壁上の建物が寺院である泉福寺(23号棟)で、右側の建物が映画館である昭和館(50号棟)になります。また、通路には、2台ぐらいの大八車らしき物が見えておりますが、ドルフィン桟橋に向かう光景でしょうか?。
<写真は島の先輩より> 当初、31号棟は6階建てでしたが、昭和40年代になってから、屋上の半分ぐらいですが昭和館側に2階分の増築が実施されます。写真は、その工事の時の光景のようです。
なお、31号棟ですが、ボタ捨て用のベルトコンベアー改修のため、昭和40年代初めに3階部分の改修が行われているようです。概略は
こちらをご覧願います。
《ビルの谷間を行くみこし》
<写真は島の先輩より>
写真上部にある建物が31号棟です。ちょうど、くの字に曲がっている部分付近です。
<2004年撮影>
<2004年撮影>