51号棟

 最終の51号棟 : 昭和36(1961) 鉄筋コンクリート造8階 鉱員社宅
*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

写真
<写真は島の先輩より>
 48号棟の先、日給の海側には空き地があり、護岸上にはクレーンが設けられて、地面には穴が開いているようです。その昔、この場所には、砿業所武道場兼体育館があり、昭和34年9月17日の台風14号の影響でにより倒壊しました。
 確証はありませんが、51号棟の建設が始まった頃の写真ではないでしょうか?。


写真
<写真は島の先輩より>
 左側の建物が51号棟で、右側の建物が日給です。建物の間には渡り廊下があります。20号棟の中程の階からの撮影でしょうか。
 私の思い出ですが、昔、島が台風の目に入ったことがありました。その時は今まで暴風雨だったのが静寂な時間にと替わりました。夜で停電もしていましたので真っ暗だったのですが、日給や51号棟からそれぞれの廊下に出てきた人々が、日給と51号棟の間の道路部分を懐中電灯にて照らしだしました。道路部分には、大きな構造物が風に飛ばされて落ちてきていて大変驚いたことがありました。
※<後藤惠之輔・坂本道徳、『軍艦島の遺産 風化する近代日本の象徴』、株式会社長崎新聞社、二〇〇五年、138・139頁>によりますと、その大きな構造物は「端島神社の屋根」とのことです。

写真<写真は島の先輩より>
 左写真同様、左側の建物が51号棟で、右側の建物が日給ですが、こちらは道路から撮影のようで、左写真の撮影位置より低い場所からの撮影です。右下には、「厚生食堂」の文字が見えています。


写真
<村里 榮 様撮影写真>
 日給の17号棟と18号棟の間から見た、51号棟の一番下にあった商店の様子です。右側が衣料品店で左側が酒店と思います。なお、51号棟は、商店の部分は階数に数えずに、その上から1階と数えていました。

写真 一番下の階に、電気店、酒店、衣料品店、酒屋が、裏側には浄化槽らしき構造物がありました。
 写真は、朝顔丸を利用しての端島中学校最後の遠足の帰りに、野母商船の到着時刻と重なり、時間調整のために島を一周した時の光景です。


戻る

建物関係へ

TOP

砿業所武道場兼体育館へ