烏帽子坑跡(熊本県天草市)

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

写真
<2009年11月撮影>
 熊本県天草市牛深町にある烏帽子坑跡です。明治時代に採掘されたそうですが、海の中に不自然な格好で残っております。なお、同坑についての詳しい説明は、「九州ヘリテージ - 九州の近代化遺産・産業遺産」 様の、天草炭業烏帽子坑のコーナーをご覧願います。

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<2009年11月撮影>
 大きな護岸は外海側に面しております。その内側に煉瓦による外壁の斜坑やコンクリートの土台と思われる物が残っています。

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<2009年11月撮影>
 大きな護岸を横に回り込んでの撮影です。


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<2009年11月撮影>
 煉瓦による外壁の斜坑と思われる構造物の拡大図です。管理人としては、今まで、この構造物は斜坑のものではないかと思っていましたが、写真撮影をしている時に通りがかったご年配の方から、「昔は、石の土台を継いで橋が架かっていたが、石を家の土台に取ってしまって今では何もない。赤煉瓦の遺構は入気坑で、その先の大きい足場の所に竪坑(跡?)があった。子どもの頃に、港から泳いでいって、大きな穴に石を投げ入れたことがある。何度かの台風で壊れて行った。写真は残ってない。」とのお話しを伺いました。

写真<2009年11月撮影>
 煉瓦の色が何とも言えません。また、牛深の案内所の方からは、この穴から、坑内に人が出入りしていた旨を伺いました。
 ついては、この「煉瓦による外壁の斜坑」は人の出入りを兼ねた入気坑ということでしょうか?。


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<2009年11月撮影>
 大きな護岸の中央付近の拡大です。入気坑の直ぐ右隣にコンクリートの土台のような物が写っています。

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<2009年11月撮影>
 土台のような物の拡大です。中央部分は空洞となっており、その側面は石積のようです。また、写真の右端には、煉瓦の固まりが見えるようです。
 土台のような物は竪坑(跡?)と思いますが、消去法からいえば排気坑になるのでしょうか?。また、揚炭は、煉瓦による外壁の斜坑から行われていたのでしょうか?。それともコンクリートの土台からでしょうか?。

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<2009年11月撮影>
 瀬中央付近の拡大図の右下部分になります。写真の下の方に水平に横たわる細長い構造物が見えております。


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<2009年11月撮影>
 護岸左端の光景ですが、写真右側に、護岸に対しほぼ直角の角度で陸地の方に向かって延びている石積が見えます。もしかしたら、当時の護岸の一部で、当時はこちらの面にも護岸が存在したのでしょうか?。

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<2009年11月撮影>
 護岸右端の光景です。こちらにも陸地の方に向かって延びている石積が見えます。



写真<写真は、「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より>
 昭和49年度撮影の航空写真です。写真左端中段に位置するのが烏帽子坑跡です。
 <萩原義弘、『巨幹残栄●忘れられた日本の廃鉱』、(株)窓社、2004年、p.112>には、「かつては陸と坑口が桟橋で結ばれていた。」との記載がありますが、写真右側にある陸地のどの部分と結ばれていたのでしょうか。海の色、山の色を見ていろいろと考えてしまいますが、想像が尽きることはありません。


写真
<出典:国土地理院ホームページ「地図・空中写真閲覧サービス」
(http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=186869&isDetail=true)>
1947/12/07(昭22) 撮影の上記データから、「烏帽子坑跡」周辺を切り抜いています。
 写真右端の大きな陸地が下須島になります。

写真
<出典:国土地理院ホームページ「地図・空中写真閲覧サービス」
(http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=186869&isDetail=true)>
1947/12/07(昭22) 撮影の上記データから、「烏帽子坑跡」部分を切り抜いています。
 左写真から「烏帽子坑跡」部分を切り抜いています。
 昭和22年時には、現在も残る大きな石積護岸の右側に陸地と思われる部分の輪郭がはっきりしているようでので、この頃には、下須島側にも石積の護岸が残っていたのではないかと思います。

写真
<出典:国土地理院ホームページ「地図・空中写真閲覧サービス」
(http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=379162&isDetail=true)>
1965/11/22(昭40) 撮影の上記データから、「烏帽子坑跡」部分を切り抜いています。
 昭和40年になると、下須島側の石積護岸は、ほとんど残っていないようです。


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