三菱協和会

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 <NPO西山夘三記念すまい・まちづくり文庫編集代表松本滋、『軍艦島の生活<1952/1970>住宅学者西山夘三の端島住宅調査レポート』、株式会社創元社、2015年、145頁>には、1937年発行「三菱高島砿業所案内」からの記載として「「三菱協和会」なるものを全在籍労務者の「自治的に心身の鍛錬、福祉の増進併せて慰楽娯楽の便を図り、会員の生活改善、品性の向上」をはかる自主的団体として結成せしめ、その運営は「会の意思決定機関として代議員会あり、代議員は労務者より公選、更に代議員中より理事を互選の上職員側理事と合し執行機関を形成し、会目的の達成に努むるとともに、当所(会社側)補助金を以て福利増進に関する事業を行なう」というかたちで進められ、同時に「各種修養団体の統制団体」という性格も兼ねて、生活管理団体の骨格を形成する。」が書かれています。


 また、<三菱鉱業セメント(株)総務部社史編纂室、『三菱鉱業社史』、三菱鉱業セメント(株)、昭和51年、812頁>には、「戦前に労使協調機関として活動した協和会については,第2偏第1章第4節で記述のとおり,戦時中に「産業報国三菱鉱業協和会」と改称されたが,昭和20年11月全社組織を廃止して各場所ごとの組織に改められ,23年6月にはついに解散するに至った。」の記載があります。ちなみに、その昔、端島にも協和の名前が付いた組織等があったようです。


 

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