島外レクレーション

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

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《47夏 高浜海水浴場》   <写真は島の先輩より>
 昭和30年頃でしょうか、昭和28年9月の町村合併促進法により、百回を越す記録的な合併協議会を行って、端島は高浜村から高島町に編入されたように聞きます。野母崎半島は位置的にも端島から近く、色々な、レクレーションが行われていたようで、確か、幼稚園からの芋掘りも行われていたと思います。

 さて、写真ですが、かなりの数の海の家があります。私も47夏かどうかは分かりませんが、この海水浴場で泳いだりボートに乗った記憶があります。


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《海岸線を目的地へ向かって》  <写真は島の先輩より>
 昭和47年11月には、「歩け歩け運動の会」が開催されているようですが、経路は、長崎半島野母崎港より脇岬海岸だったように聞きます。この写真は、その時の写真でしょうか?。

写真《脇岬海岸に到着》
<写真は島の先輩より>
 「歩け歩け運動の会」時の写真でしょうか?。旗には、地区ではなく区と書かれているようです。


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《砲丸投げ》  <写真は島の先輩より>
 砂浜での光景のようです。なお、<『炭の光』、第216号、昭和45年1月1日>によりますと、昭和44年10月26日(日)に、参加者五百人にて、県立野母崎亜熱帯植物園まで新会社発足記念全島民慰安遠足会を行ったそうです。


<昭和47年1月1日発行の端島労働組合機関紙「はしま」第5号から>
 記事の下段にみかん狩りの記載があります。また、『軍艦島 端島労組解散記念史』端島労働組合(1974)には、昭和48年のみかん狩り時には、1,200名が参加、朝顔丸と野母船とに分乗して行った旨の記載があります。


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《みかん山に向かって》
  <写真は島の先輩より>

写真《みかん山で》
<写真は島の先輩より>

みかん狩り、私も行った記憶があります。


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《みかんの袋入れ》  <写真は島の先輩より>
 右上は大村湾??。

写真《みかんをさげて山をおりる》
<写真は島の先輩より>

私には、この山深い?光景の記憶はありません。


《 海の家 》
 昭和32年発行の「炭の光」には、「御家族連れで温泉へ−海の家紹介−」と題された記事があり、記事の中の「利用者の手引き」には下記の記載がありました。泊りがけで海の家に行くなんて羨ましいですね。

1.長崎バス茂木終点下車徒歩約五分
2.利用料
 ○宿泊の場合 一人一泊(二食付) 三五○円
  (税込)なお食事しなくても料金は同額徴集されます。
 ○昼食 一人一○○円
 ○休憩 大人一回三○円
  但し満三才以下の幼児は無料
3.右以外の飲食料金は別額支払うこと。
4.利用する際は、必ず健保係に申込みをして承認書を御持参下さい。
(証明書なき場合は割引を認めません)
       (健保端島支部)


《 雲仙保養所 》
 <『炭の光』、第217号、昭和45年7月1日>には、健康保険高島支部の唯一の保養所として雲仙保養所があることや下記の料金体系が掲載されています。

朝食一二〇円
夕食三〇〇円
宿泊料一〇〇円
サービス料二〇円
入湯料四〇円
休憩料四〇円


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