タイムカード??

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

写真
<資料は島の先輩より>
 左写真は、タイムカードでしょうか。甲方の記載があり、入坑時間は7:30となっていて一番方のものかと思います。私としては甲方の言葉は記憶になく一番方の言葉が記憶に残っています。
 ちなみに、「入坑時間については、8時・16時・24時」の記載が、『主婦の友・昭和31年3月号』[(株)主婦の友社]にあります。
 また、時代は遡って明治中頃の労働時間については、<毎日新聞(明治31年1月8日付け)>の「高島炭礦の沿革及現状(下)」には、「鑛夫の労働時間は各々十二時間にして朝夕共五時を以て交代の期と為せり職工其他の人夫は午前七時より午後五時迄各々十時間なりと労働時間としては相富なりと認む」の記載があります。端島での労働時間との記載はありませんが、おそらくは高島・端島共通の時間だったのではないかと思います。

写真《昭和26年当時の入坑所風景》
  <写真は島の先輩より>

 下の写真ですが、手に紙を持っている人が目立ちます。タイムカードでしょうか。
 島の先輩に伺いますと、入坑所や捲座上屋(運転台付近)には神棚が設けられていて安全祈願を行っていたそうです。
(ちなみに、坑内には神棚は設けられていなかったそうです。)


 明治時代の賃金として、<毎日新聞(明治31年1月8日付け)>の「高島炭礦の沿革及現状(下)」にある「▲賃金」では、「高島炭鑛事務所と納屋頭の間に於て定めたる賃金は採炭一箱(二箱半一屯の割)坑内の難易に依り五等に区別しあるも其平均の賃金に粉炭一箱拾壹銭塊炭一箱貳拾貳銭五厘なりとその賃金や納屋頭の手に幾銭を利して鑛夫は幾銭を得るものなるやは知ると能はずと雖とも鑛夫の採炭賃は鑛夫一人一日平均四十三銭強に當ると坑外の人夫は一日二十五銭より三十五銭以上の差あり職工に至れば一圓以下五拾銭以上の差あり見習職工と雖とも三十銭より以下なるものなし婦女子の雑役賃は十七八銭以下八銭以上なりと」の記載があります。職種に応じて賃金に差があるのは当然かと思いますが、生きていくのは何時の時代においても厳しいものがあります。ちなみに、この新聞記載は高島のみのことかも知れませんが、端島においてもそんなに差はなかったのではないでしょうか。


戻る

炭坑関係へ

TOP

次へ