南 洋 井 坑 ・ 尾 浜

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

写真
《高島炭坑之鳥瞰》  <長崎歴史文化博物館収蔵>
 明治年間の尾浜付近と思います。長崎歴史文化博物館の情報検索には、この資料のデータとして「高島炭坑之鳥瞰 明治24年」が記載されています。
 南洋井坑は、明治3年2月頃より立坑開削に着手し、明治4年3月下層部(十八尺層)の採炭を目的に開坑しますが、明治25年に亀裂が発生し危険となり、11月21日土石で埋め込み完全閉坑となります。

写真<2006年10月撮影>
 左写真に近いアングルと思います。しかし、変われば変わるものですね。


写真
《高島炭坑之鳥瞰》  <長崎歴史文化博物館収蔵>より拡大1
 少し拡大してみました。拡大図の中央に、周りより少し高い構造物が見えますが、南洋井坑櫓と思います。しかし、この櫓を中心とする尾浜??付近には所狭しと建物が密集していますね。

写真《高島炭坑之鳥瞰》<長崎歴史文化博物館収蔵>より拡大2
 もっと拡大してみました。管理人の目には、おぼろげながら、櫓のてっぺんには、滑車らしき円形の構造物が2個、滑車から右下方向に延びるロープらしき細き線が見えます。
 一番上の写真を見た時にも櫓は認識出来ましたが、滑車、ロープ等は見えなかったので、取りこわし中の南洋井坑?と思いきや稼働中の姿と思い直しました。写真左下には炭車が、左上には排気口らしき構造物も見えます。


写真
《南洋井坑(明治4年着炭、明治25年廃坑)》
<「高島町の足跡」(平成16年12月高島町発行)より、許可を得て掲載>

 同じ、南洋井坑の櫓の姿ですが櫓の形等を上段写真と比較しますと、柱の数等が違うようですし、櫓周りの建物の数も違うようです。ついては、こちらの写真は、南洋井坑の開発初期の映像ではないかと勝手に思っています。
 なお、この光景とほぼ同じと思われる写真が、長崎大学附属図書館の「幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベース」に高島炭鉱南洋井坑として掲載されています。

写真タイトル不明 <グラバー写真帳より>
<写真は長崎県立長崎図書館所蔵、許可を得て掲載、二次利用禁止です。>

 この写真は、グラバー写真帳で、尾浜・百間付近の姿を海上から写した写真の次ぎにありました。そして、この写真の次は炭坑以外の写真でしたので、高島の炭坑の姿ではないかと思います。但し、何の確証もありませんし場所も不明です。
※ 高島ではない旨の情報をいただきました。 ※


写真
《高島炭坑之鳥瞰》  <長崎歴史文化博物館収蔵>より拡大3
 右側・山腹部分を少し拡大しました。
 職員倶楽部の建物がまだ建てられていないようです。写真右下には垣根が見えると思いますが、管理人の目には、垣根の下に大きな穴が2つ見えます。もしかして、遠い昔の横坑???。

写真《高島炭坑之鳥瞰》  <長崎歴史文化博物館収蔵>より拡大4
 海岸付近には、積込桟橋が見えます。
 この写真も私の撮影技術の未熟のため、ピントが惚けておりますが、実物の写真を見ますと、積込桟橋上には炭車らしき姿が数多く見受けられます。


写真
《尾浜積込場》
<写真は、「昭和51年版町勢要覧高島町」(高島町発行)より、許可を得て掲載>

 左写真の仲山付近では、護岸の姿を見ることが出来ないようですが、この写真では、護岸の姿が伺えるようです。
 また、写真右上の山の陰から延びた線のような物が、尾浜方面に向かっていますが、蛎瀬坑まで連絡していた坑外エンドレス車道の姿ではないでしょうか。明治後半の撮影ではないかと思います。

写真《高島炭坑》
<出典:『長崎案内』(第二回關西九州府縣聯合水産共進會 長崎市協賛會・明治四十年十月発行>
 上段写真の《尾浜積込場》の光景を、反対方向の山から撮影した写真のようです。


写真
《高嶋炭坑ゑはかき 中(石 炭 荷 役)》
  <昔の絵葉書より  九州大学 記録資料館所蔵>
 尾浜付近にあった、石炭積込桟橋や貯炭用の桟橋周辺を高台から見た光景です。なお、貯炭用の桟橋は、前出の写真の姿から形が変わっているようです。また、島の先端の百万付近ですが、昔、小学校グランドがあった部分には、多くの建物が建っているように見えます。

写真《長崎港外三菱高島炭坑運炭桟橋及夕顔丸》
<昔の絵葉書より  九州大学 記録資料館所蔵>
 尾浜の石炭積込桟橋を百万方面から見た光景でしょうか。石炭積込桟橋の後ろ左側には二子島?が見えるようです。


《 (長崎港外)高島表海岸 Omote Sea-shore Takashima, Nagasaki. 》
  <所有絵葉書>

 絵葉書上段の箇所は百万と思われますが、煙が出ている煙突や煙突のすぐ横の大きな建物周辺は場所的に百間崎製塩工場ではないかと思いますが如何でしょうか?。そうしますと、<『高島礦業所概要』、大正15年10月>の「製塩業ヲ開始シ各島ニ工場ヲ設ケタリシガ蛎瀬坑ノ休止ト同時ニ之レヲ廃止シ、現今端島坑ニ於テノミ製塩ヲナセリ」の記載や、<『高島町文化史』、平成7年3月改訂版発行 (昭和24年初版の改訂版)>の「蛎瀬に二竪坑を掘削し着炭したが、大正十二年八月坑内湧水のため廃坑となった。」の記載(※昭和に再び開坑)から、高島の製塩工場は若干の時期的相違はあるでしょうが大正12年頃までの稼働となりますので、この絵葉書は大正12年頃以前の光景となるように思います。なお、このことから、風景印日付の年代は「昭和」ではかなり後のように感じられますので「大正13年6月16日」を示していると思っています。
 また、絵葉書中段では貯炭場が見えてみますが、このページ冒頭からの貯炭場の姿とを見比べますと貯炭場構造の変遷を感じます。あと、石炭積込桟橋の上や貯炭場の手前の方には多くの炭車らしき姿が見えています。


<2004年12月撮影>
 記念碑です。

<2004年12月撮影>
 排気用の堅坑が造られています。

<2004年12月撮影>
 少し下がって、上記説明板と排気坑跡部分を撮影しました。

<2004年12月撮影>
 排気坑と、南洋井坑の位置関係です。


写真
<2006年10月撮影>
 尾浜坑坑口跡の説明板です。尾濱坑は、ゴマ五尺層採掘のため、斜坑により設けられたそうです。

写真
<2008年3月撮影>
 少し、下がって撮影しました。位置が少しはお分かり頂けるのではないでしょうか。


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