炭 坑 倶 楽 部

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

以下、炭坑倶楽部の概略を記します。


明治33年、高島炭坑三島使傭人ノ修養娯楽ヲ倶ニスル目的ヲ以テ新ニ倶楽部ヲ建築シ、兼テ使傭人ノ集会又ハ来賓ノ接待及休泊所ニ充ツルコトトス
  <三菱社誌刊行会編纂 『三菱社誌第七巻』(財)東京大学出版会(昭和55年復刊)より>
明治34年3月15日の高島炭坑創業記念祭は、従来一般本社使用人は長崎に於いて開催の長崎支店主催の宴会に列席するを定例なりしを改め、炭坑倶楽部建物の落成を機に、高島において三島の使用人集会を開宴し、長崎支店と造船所使用人は差し支えない者に限り招待することとする。
  <三菱社誌刊行会編纂 『三菱社誌第八巻』(財)東京大学出版会(昭和55年復刊)より>
大正4年、三菱倶楽部高島支部建物改築増築の工費を認許する。
  <三菱社誌刊行会編纂 『三菱社誌第二十二巻』(財)東京大学出版会(昭和55年復刊)より>
大正5年、高島炭坑倶楽部に道場射的場新設を認許する。
  <三菱社誌刊行会編纂 『三菱社誌第二十三巻』(財)東京大学出版会(昭和55年復刊)より>
大正14年、三菱倶楽部高島支部建物修繕費、二子撃剣道場新設工事費を認許す。
  <三菱社誌刊行会編纂 『三菱社誌第三十二巻』(財)東京大学出版会(昭和56年復刊)より>

写真
《詳細不明》  <写真は長崎県立長崎図書館所蔵、二次利用禁止です。>
 写真中段の左端に写る建物が、炭坑倶楽部の建物と思いますが如何でしょうか。おそらく、上記の「三菱倶楽部高島支部建物改築増築前」の姿と思いますが、炭坑舎の姿に似ているような気がします。

写真《高島炭坑ゑはかき 下(役員倶楽部)》
<所蔵: 九州大学 記録資料館>
 左下の写真では役員倶楽部として紹介されています。
 こちらは、「三菱倶楽部高島支部建物改築増築後」の姿と思いますが。外観が、がらっと変わっているような気がします。


写真《 (長崎港外)高島尾濱全景 The All-view of Ohama Takashima, Nagasaki. 》
  <所有絵葉書>

 「炭坑倶楽部」と思われる建物が絵葉書中央にあり、他にも大小の建物が多数写っていて、尾浜は当時の島の中心地の一つだったように思います。ちなみに、この当時は「字尾濱二千百三番地」に当時の役場があったようで、昭和二十年代頃の高島の地図においても「炭坑倶楽部」と「当時の役場」は直ぐ近くで書かれています。
 ちなみに、二子島取得に関する際の役場情報はこちらをご覧ください。


写真《長崎港外嶋表海岸  昭和七年七月拾壹日長崎要塞司令部検閲済
  <所有絵葉書>

 写真上段の左端に炭坑倶楽部の建物が見えております。


以下、2008年3月の撮影です。炭坑倶楽部との確認は得ておりませんが、おそらく、そうではないかと思い記載しました。

写真
<2008年3月撮影>
造りがいい通路に感じました。
この通路は、高島炭鉱の絵葉書 - パンダ放送局 - Yahoo!ブログにある炭坑倶楽部の下に写る通路ではないでしょうか。

   写真
<2008年3月撮影>
通路を上り詰めた部分には、階段がありました。
写真
<2008年3月撮影>
通路から階段に変わった部分です。
   写真
<2008年3月撮影>
階段を上り詰めた部分には、立派な門柱があります。

写真
<2008年3月撮影>
立派な庭園だったようです。
   写真
<2008年3月撮影>
庭園の右の方の光景です。

写真
<2008年3月撮影>
庭園の上の方です。
  

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