石炭運搬船

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 <毎日新聞(明治31年1月8日付け)>の「高島炭礦の沿革及現状(下)」には、「四十艘の運炭帆船(西洋形各々百二十屯積)を以て長崎貯炭場の間に航海せしむ其貯炭は長崎に出入する外国汽船の需用に供給するに至る」の記載があります。なお、この四十艘の数字は端島のみの数字ではなく、高島と端島合わせての数だと思います。


 『三菱鉱業セメント(株)総務部社史編纂室、三菱鉱業社史、昭和51年、565頁』には、概ね、下記の記載があります。
 私も、どの菱山丸かは覚えていませんが、昭和40年代に端島に来ていた菱山丸を覚えています。その船は大型のせいか船倉が二つに分かれていて、石炭を積み込んだ後は、船倉の上を鉄板が自動で動いて蓋をしていました。(その船以外の石炭運搬船では、船員の方が手作業にて、木製の板で船倉に蓋をしていました。)

  • 高島・崎戸〜大阪間の九州炭ピストン輸送に当たる最新型の自社用石炭専用船菱山丸(2千t型,船主・原海運)を建造して,昭和35年8月から就航させた。
  • 自社用石炭専用船はその後九州炭積みとして第二菱山丸(3千t型,原海運)を37年8月,第三菱山丸(4千t型,原海運)を42年5月にそれぞれ建造した。
  • これら専用船は在来船に比べて大型化し,設備も省力化されて石炭の流通費合理化に大きく寄与した。

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