小菅修船所(ソロバンドック)

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

ソロバンドックの名前の由来について、その情報の一部を下記に記します。
  • <『長崎造船所150年史編纂委員会』、長崎造船所150年史、三菱重工業株式会社長崎造船所、平成20年、頁数105>には、「グラバーがイギリスから輸入したスリップ式ドックで、約1,000総トンの船まで引き揚げることができ、レールに沿って移動する木製の架台の形状から、この修船場は当時「そろばんドック」と呼ばれた」との旨の記載があります。
  • 長崎歴史文化博物館収蔵資料の「KOSUGE SLIPWAY」には、「軌条を敷設し、その上に船体を乗せた台車を巻き揚げて行く仕組みとなっている。その外観が丁度ソロバンの経緯軸木にも似寄っているところから、ソロバンドックの通称が出来たものであろう。」との旨の記載があります。


写真
《小菅船渠写真(ソロバンドック)》  <長崎歴史文化博物館蔵>
 当該写真の袋には、「明治10年撮影 とうかい丸」と書かれた紙が入っていました。
 また、長崎歴史文化博物館収蔵資料の「KOSUGE SLIPWAY」には、「東海丸が小菅修船場に上架されたのは、記録では明治10年と11年の2回で、写真に撮影されたのはそのいずれであろうか。」と「艦船の修理工事が主体ではあったが、新造船の建造も施工されいる。」の旨の記載もあります。

写真《小菅船渠写真(ソロバンドック)》より拡大
 巻上機上屋の煙突は海側からみて建物の左側のみにあります。


<長崎工作分局第一次報告書 明治4年4月〜同10年6月><収蔵: 長崎歴史文化博物館>の中には、「小菅修船場ハ肥前国彼杵郡戸町村字瀬ノ脇海湾ニ在リ其所用地ハ五千四百四拾三坪ナリ 其製造セシ船舶ノ要畧ヲ掲クル左ノ如シ」に続き以下の記載があり、造られた船の一部が紹介されています。
(■はよく読み取れない文字です。なお、■丸の経費ですが、円未満の記載が分かりにくいため誤記の可能性があります。また、三艘の個々の経費を合計しても最後の経費合金は一致しないようです。)
事  由船 名起 竣 年 月長 幅 深容積噸数馬 力経  費
蒸気船向陽丸起工 不詳
明治五年九月竣工
不詳七拾噸不詳金八千五百円
帆走船
半スク■ール 貳本檣
小菅丸仝六年九月起工
仝九年五月竣工
長 八拾四尺五インチ
巾 拾八尺七インチ
深 拾尺五インチ
百三噸金壹万貳千五百四拾五円
内車蒸気
タクボート
■丸仝七年七月起工
仝八年十月竣工
長 八十八尺
巾 拾八尺
深 拾貳尺
九拾貳噸六拾馬力金貳万四千貳百五拾貳円
拾三銭三厘
以上、新造船三艘 経費合金四万五千貳百九拾七円拾貳銭三厘


写真
《小菅船渠写真(ソロバンドック)》  <長崎歴史文化博物館蔵>
 入り江の入口付近からの光景です。

写真《小菅船渠写真(ソロバンドック)》<長崎歴史文化博物館蔵>より拡大
 建物の左側に加えて、裏側にも煙突の姿が見えますので、明治10年よりも後の光景かと思います。


写真
《昭和7年頃の小菅船渠》  <長崎歴史文化博物館蔵>
 海側からすると、建物左側の煙突はなくなって、建物裏側の煙突のみとなっています。

写真《昭和7年頃の小菅船渠》<長崎歴史文化博物館蔵>より拡大
 建物の先に「レールに沿って移動する木製の架台」?が見えています。


 http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=4543 長崎大学附属図書館 幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベース-「小菅の造船所と長崎港」 の「超高精細画像」では、明治30年(1897)頃の撮影かとされる写真を詳細に見ることができますが、海側から向かって建物の左側に大きな煙突が建っています。また、建物右面には、窓?or出入口?らしき構造物を伺えます。


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