大正初期頃、昭和初期頃及び平成21年の松島の光景を掲載しました。大正初期頃及び昭和初期頃は、炭坑があり石炭を産出していた島ですが、平成21年においては、石炭を島に運び込み電力を生産する島に生まれかわっています。時代の変遷を感じます。
〔 大正初期頃 〕
《採炭の光景》 <出展:長崎県千名鑑(九州日の出新聞社・大正元年発行) 写真右下には船舶らしきものが見えるような気がします。
《船積の實况》
<出展:長崎県千名鑑(九州日の出新聞社・大正元年発行) かなり大きな石炭運搬船のように思います。
《松島村釜の浦港》
<出展:長崎県千名鑑(九州日の出新聞社・大正元年発行) こちらに写る船舶はやや小型で帆船のようです。
〔 現 在 〕
<2009年10月撮影> 赤レンガ周辺復元図・昭和初期頃と記された掲示板です。瓦屋根のかぶる赤煉瓦の建物だったこと、内浦の発電所から山をこえて送電を受けていたこと、番所の右側には、内浦~太田をむすぶ線路があったこと、立坑櫓が2本あったこと等が描かれております。
<2009年10月撮影> 現在の光景です。
<2009年10月撮影> 近くにある掲示板によれば、赤煉瓦の建物が旧第四坑捲座上屋で、左隣にあるコンクリの建物が旧変電所の建物とありました。
<2009年10月撮影> 旧変電所建物の前景です。
<2009年10月撮影> 右下の建物が番所となるようです。
<2009年10月撮影>
<2009年10月撮影> 赤煉瓦の建物やコンクリの建物の山側にあるコンクリート製の柱です。
<2009年10月撮影> この柱は、左の電柱よりまだ山側にありました。左の電柱は2本からなっていますが、港にある島の案内図には、この1本の電柱の姿が描かれ、炭鉱時代の四角コンクリート電柱と記載がありました。
上段にある、赤レンガ周辺復元図・昭和初期頃と記された掲示板には、内浦の発電所から山をこえて送電を受けていたこととの記載がありますので、もしかしたら、この2枚の写真は送電線の電柱ではないかと思いますが如何でしょうか??。