三井田川鉱業所伊田坑

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写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 田川市石炭・歴史博物館での撮影です。同館のパンフレットによりますと、展示の内容は第1展示室、第2展示室、第3展示室、屋外展示場及び産業ふれあい館との説明があります。また、旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓や旧三井田川鉱業所伊田竪坑第一・第二煙突【二本煙突】の施設が紹介されております。
 なお、このページの<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>の写真ですが、田川市教育委員会(文化課石炭・歴史文化博物館)の許可を得て掲載しています。ついては、画像の無断利用(転載等)は固く禁止させていただきますので、よろしくお願い致します。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 パンフレットによりますと、写真の櫓は、「旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓」で、「明治42(1909)年完成で、明治期のものとしては、国内最大級。」との説明があります。
 このように、今でも昔の櫓の姿を見ることが出来るのは大変嬉しいです。いつまでも大事に保存されて欲しいと思います。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 櫓を支える柱の基礎付近から櫓の上部方向を撮影しました。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 櫓を支える柱の基礎付近には、ケージが展示されています。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 正面から見たところです。ケージは2階建てとなっております。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 横から見たところですが、ケージの吊り方がよく分かると思います。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 第1展示室に展示されている、「三井田川鉱業所伊田坑模型 (昭和36年頃) 縮尺1:150」です。本当に、素晴らしい出来栄えです。往時の様子がよく分かります。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 向きを変えてからの撮影です。写真手前にある細長い建物は炭住でしょうか?。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 その昔、竪坑櫓は二つあったようです。また、写真左上には二本煙突の姿が覗えます。それにしてもよく再現されています。

写真《三井田川繼ニ》  <出典:日本地理大系(改造社・昭和5年発行)>
 稼業している頃の写真です。写真の説明には、「所謂、筑豊炭田と言ふ名称から言へばこの炭坑は東南部にある主要炭坑で、三井田川第一坑は後藤寺に、同第二坑は宮床に、同第三坑は即ちこの写真に見るもので伊田(いた)にある。二本の煙突に竝んで見える二箇の塔が巻上機で、採掘した石炭の引揚げも、坑道へ出入する纒vも之に依るのである。左に続く建物は引揚げられた石炭を選別する選炭場で、直ちに用意された炭車に積載せられて輸送する。」との記載がります。

写真《三井田川の伊田坑》  <出典:日本地理風俗大系(新光社・昭和5年発行)>
 写真の説明には、「三井田川炭坑は本坑大藪及び伊田の三炭坑を含み炭層は第三紀層中に現はれ伊田の八尺層田川の八尺層三尺層四尺層などがある。伊田には竪坑があり明治三十九年の着手である。竪坑はコンクリートまたは煉瓦を以て覆壁を築いてある。」との記載がります。
写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 屋外展示場の光景です。機関車でしょうか?。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 確か、炭車を載せたまま180度回転し、炭を降ろす機械と思います。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 木製の炭車のようです。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 線路の交差部分が回転する機械のようです。分岐のための装置ではないようですが、何のための装置なのでしょうか?。


写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 産業ふれあい館の光景です。パンフレットによりますと、建物の外観は炭鉱住宅に模し、内部は明治・大正・昭和期の炭住の間取りを再現の旨の説明があります。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 炭住の屋根の上に櫓の姿が見えています。昔は、あちらこちらで、よく見かけていた光景だったのではないかと思います。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 家の前での光景です。写真中央に写る、黒い物が入っている入れ物ですが、「殻入れ 石炭を蒸し焼きにして、煙と臭気を取り除いたものを殻と呼び、家庭用の燃料として使用していました。」との説明がありました。


写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 建物内部の光景です。人形が本当にリアルに作成されています。入ったとたんビックリしました。お母さんは料理を作っているのでしょうか?、それとも洗い物?。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 お父さんは仕事が終わって、これから晩酌といったところでしょうか?。当時の生活が偲ばれます。確か、説明には「昭和期」との記載があったかと思います。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 二本煙突です。パンフレットによりますと、「伊田竪坑の動力用として設置された蒸気機関の排煙用煙突。明治41(1908)年に築造された煉瓦造の煙突で、炭坑節のモデルとなった。」の旨の説明があります。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 煙突の基礎部分ですが、それぞれ、形が違います。こちらは丸い形となっています。

写真<田川市石炭・歴史博物館(福岡県)にて 2010.12撮影>
 こちら煙突の基礎部分は、八角形の形をしています。また、煙道?の取り付け部分の構造も違うようです。何故、煙突の基礎部分の形が異なっているのでしょうか?。

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