二十六聖人の像

「旅する長崎学」【3】

キリシタン文化Ⅲ

1597年2月5日,長崎西坂の丘で日本人20人,外国人6人のキリシタンが十字架にかけられ処刑された。日本で最初の大殉教はなぜおきたのか。土佐浦戸海岸(高知市)に漂着したスペイン船が、殉教事件をひきおこすきっかけのひとつとなった。日本で最初の大殉教をひも解く。

表紙

サン・フェリペ号事件とは
1596年,フィリピンからメキシコへむかっていたスペイン船サン・フェリペ号が,台風に遭い土佐浦戸に漂着した。豊臣秀吉は,土佐領主の長曾我部元親の報告を受け,五奉行のひとり増田長盛を浦戸に派遣し,サン・フェリペ号の莫大な積み荷を没収した。このできごとが,殉教事件のきっかけといわれている。まず,スペインの領土的野心に秀吉が激怒したこと。増田は秀吉に航海士の発言を報告した。「スペインはまずキリスト教の宣教師を派遣して信者をふやし,やがてその国を征服するのだ」と。航海士の発言が真実かどうかは定かではないが,秀吉は衝撃を受け,京都で積極的に布教活動をおこなっていたスペイン系修道会「フランシスコ会」の宣教師捕縛を命じたという。
また,積荷没収を正当化するためであるともいわれる。朝鮮出兵や慶長の大地震で疲弊していた時期,サン・フェリペ号に積まれた財宝の数々は何としても手に入れたいものだったにちがいない。秀吉は伴天連追放令(1587年)を根拠に,船に修道士が乗船していたとして,国内にいた宣教師を捕縛したという。
24人のキリシタンが捕らえられる

秀吉は,京都奉行の石田三成にフランシスコ会士とキリシタンを捕縛し処刑するよう命じた。役人が最初につくった名簿は膨大な数にのぼったが,三成のとりなしで大幅に減らされた。捕らえられたのは,京都でフランシスコ会宣教師 バプチスタら6名,大阪でイエズス会修道士パウロ三木ら3名,ほか合わせて24人であった。イエズス会関係者はパウロ三木らの釈放を要請したが,受け入れられなかった。

(「旅する長崎学」【3】より)