リンガー邸

「旅する長崎学」【9】

近代化ものがたりⅢ

安政の開国により1859年(安政6),長崎港が開港され,長崎の町に外国人のための居留地がつくられた。長崎港を見下ろす南山手・東山手の丘には,事業の成功を夢見て,はるか海を渡りやってきた異国の商人たちの邸宅が次々に建てられていった。

表紙 坂本龍馬,伊藤博文らを支援し明治維新に貢献

スコットランド出身のグラバーは,1859年(安政6),長崎開港の年に24歳の若さで来日。同郷のK・R・マッケンジー経営の貿易支社に勤務した。1861年(文久元)にグラバー商会を設立。彼は流暢な日本語を話し,薩摩,長州,土佐藩の若い藩士らと接触。討幕派の擁護者として,坂本龍馬らに銃や戦艦などを大量に売り,薩長同盟など幕末の政治情勢に深く関わった。また,伊藤博文ら長州藩士の英国留学や五代友厚ら薩摩藩士の海外渡航の橋渡しをするなど,後年,明治日本の指導者となった若者たちに多大な援助をした。


息子富三郎の実業界での活躍

グラバーは日本人の妻との間に2人の子どもをもうけた。ハナと富三郎である。富三郎は,日本姓を倉場(クラバ)と名乗った。彼は東京の学習院に進学した後,アメリカの大学に留学し生物学を学んだ。帰国後の1893年(明治26)にホーム・リンガー商会に入社し,長崎の実業界や社交界で活躍。居留地の外国人と長崎市民の交流の場である「長崎内外倶楽部(ながさきないがいくらぶ)の創設者のひとりとして,1903年(明治36)に出島に本部を建設するため奔走。富三郎はリンガーとともにトロール船を輸入し漁法を導入し,日本の水産界に革命を起こした。

(「旅する長崎学」【9】より