「旅する長崎学」【20】

歴史の道Ⅲ  長崎街道ウォーキング

かつて長崎は,文化の窓口でした。 キリスト教の広まりと同時に,西洋の文物が流れ込み,村から町,そして文化の中心地へと変貌を遂げていきます。西洋と中国の文化が織りなす歴史の町。それらが手軽に読めるシリーズとして 「旅する長崎学」が発刊されました。長崎のすべてがここに詰まっています。

表紙

明治の有料道路日見新道

明治時代になり日見峠の道路改修が計画された。
実際の工事の手配等は長崎県が行い,県の呼びかけで新たに設立された目見峠新道会社によって、資金が集められ新道の建設が行われた。
約1年4ヵ月の工期と、当時の金額で約4万7千円という莫大な工費をかけた新道の開通によって、天下の難所といわれた日見峠を人力車や,馬車などが通行できるようになった。
中でも最大の工事が,峠を約33メートル切り下げた切り通しで、約1年をかけて明治15年(1882)に開通。
会社は工事費を償還するために、一人5厘、人力車2 銭、馬車5 銭の通行料( 途中料金変更あり) を取ることにした。
明治15年(1882)から開始された通行料の徴収は、長崎県が日見峠新道会社に対して補償金を交付した明治22年(1889)までの9年間続いた。

(「旅する長崎学」【20】より)