「島原の乱」時の原城内と幕府軍の布陣

「旅する長崎学」【21】

歴史の道Ⅳ 長崎街道・脇往還ウォーキング

二十六聖人が歩いたことでも知られる時津街道。この街道に続く海上の道として大村湾の海路が利用されました。多良越えルートは、長崎警備を担当した佐賀藩の殿様や藩士らが利用しました。このルートは途中、有明海沿いに竹崎へと街道に分かれます。長崎からの脇往還としては、田上峠を越えて茂木へ続く茂木街道や、脇岬の観音寺へ続く参詣ルートのみさき道が知られています。

表紙

奇岩・鯖くさらかし岩を見上げつつ

時津の港には、海を歩いて「日本二十六聖人上陸の地」記念碑が建っている。慶長元年12月18日(西暦1597年2月4日)の夜11時頃に、二十六聖人は彼杵から大村湾を渡って時津に到着し、翌早朝から街道を通って西坂に赴き殉教した。当時は時津町役場付近の商店街のあたりも海岸であったという。埋め立てがくり返し行われたため、船をつなぐともづな石が時津八幡宮に移設されて残っている。時津警察署を過ぎると、昔の面影を残す時津のお茶屋跡がある。時津の茶屋は宿場の本陣に当たる大村藩直営の施設で、寛永10年(1633)の創建という。
鳥越橋を渡って国道206号線に出ると、右手の山の中に鯖くさらかし岩の奇岩が目に飛び込んできた。この岩には、上の丸い岩が落ちるのを待つうちに魚売りの持っていた鯖が腐ってしまったという昔話がある。そして時津街道中最大の難所が打坂峠だ。牛馬の尻をムチ打って登ったという急坂だ。街道は長崎市との境界を示す表示板付近から山道に入り、息を切らしながら登っていく。

(「旅する長崎学」【21】より