明日は、アメリカ同時多発テロから10年。 また、東日本大震災から半年。 世界の平和を祈るため、県内の神社を回ることにした。 |
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ここは、南関にある大津山阿蘇神社。 以前、南関に来た際に、気になった大きな神社だ。 |
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1199年、阿蘇神社から二柱の神様を勧請し、お祀りしたことに始まるという。 |
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戦前までは、雨乞いの神社として有名だったそうだ。 |
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この地域では、阿蘇地方と同じように、「ナマズ」は食べないとのこと。 体に「ナマズ」ができても、境内の池に「ナマズ」を放せば、全快するという。 県内や北九州からも参詣に訪れるそうだ。 |
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しもぶくれの神官。 |
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境内には、石碑がたくさんある。 こちらは、芭蕉の句碑。 |
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立派な石橋がかかっている。 |
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楼門も素晴らしい。 |
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日露戦争の記念碑。 |
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長い階段。 残暑が厳しく、登りたくないが、仕方ない。 |
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拝殿。 昭和4年に改築されたもの。 |
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境内は、とても広い。 |
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隣にある生目神社の湧水。 眼病平癒に効くという。 |
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生目神社の階段。 |
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藤棚の向こうに、拝殿がある。 |
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生目神社は、平景清に由来するとのこと。 熊本には、足手荒神のように、体の部位を治してくれる神様が多い。 菊水町にも八つの神様がいる。 今度、行ってみよう。 40歳近くになると、いろいろと体が痛くなる。 いやだいやだ。 |
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場所は変わって、ここは南関のホテルセキア。 |
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ここでは、韓国映画「家門の受難」のロケがあった。 出演した俳優のサインが飾られている。 |
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このホテルのランチバイキングは、お手頃な値段で、とても人気があるそうだ。 また、韓国資本だけあって、韓流グッズや韓国食品なども売られている。 なかなか面白い場所だ。 |
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南関から大牟田へ移動。 お腹が空いたので、以前から気になっていた「高専ダゴ」へ。 大牟田のほか、玉名や山鹿にもある。 |
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2人前を注文。 |
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味は、普通。 お腹いっぱいになった。 |
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大牟田から荒尾へ。 ここは、「こくんぞさん」で有名な四山神社。 |
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手水の使い方として、可愛い絵があった。 こんな娘を神社で見かけることは、まずないが・・・ |
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四山神社は、虚空蔵菩薩が降臨されたところといわれる。 |
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1070年、菊池家初代の則隆がお堂を建立し、1605年に加藤清正が再建した。 |
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2月13日と9月13日に、こくんぞさん祭りがある。 |
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祭りのとき、福銭である5円玉を借り、来年、倍にして返しに来る。 そういうシステムだそうだ。 |
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祭りのとき、「はじき猿」と「ぴんぴん鯛」という縁起物が売られているとのこと。 この縁起物を欲しかったが・・・ 今年の秋の祭りは平日なので、行くことが出来ない。 残念・・・ |
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社殿の裏手にある四山古墳。 |
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ここに、虚空蔵菩薩が降臨されたという。 |
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境内にある海達公子の碑。 海達公子は、ここ荒尾で育った。 北原白秋に詩の才能を認められたが、17歳で病死した。 |
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同じく境内にある三池港灯台。 四山灯台とも呼ばれる。 |
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四山神社は、見どころがいっぱい。 |
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山の上にあるので、狭い坂道を上ってこないといけない。 車でも大変な坂道だが、行く価値が十分ある神社である。 |
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四山神社から見下ろした荒尾市の風景。 |
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北へ行けば、すぐ隣は大牟田市。 荒尾は、ちょっとだけ福岡の香りのする街だ。 大牟田には、ゆめタウンやイオンなどの大きなショッピングモールがある。 意外と、住みやすいのかもしれない。 |
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四山神社から移動して、宮崎兄弟の生家へ。 西南戦争に薩軍として参加した宮崎八郎や孫文の辛亥革命を支えた宮崎滔天で知られる宮崎兄弟の記念館だ。 |
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日本史には、かなり詳しい方なのだが、ここの資料館は極めて難解。 勉強して臨んだ方が良い。 |
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せっかく荒尾に来たので、荒尾市内散策することにした。 |
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ここは、野原八幡宮。 応神天皇と桓武天皇が祀られている。 |
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とても広い境内を持つ神社である。 |
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毎年10月15日に、秋の大祭がおこなわれるそうだ。 風流舞と節頭行事が奉納される。 |
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また、ここでは七五三が1ヶ月早く行われるとのこと。 |
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狛犬の手元に、子供の狛犬がいる。 |
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子供の狛犬がいるのは、かなり珍しいのでは?? |
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もう一頭の狛犬には、子供はいない。 何となく羨ましそうな顔をしている。 |
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後で知ったが、この社殿の裏に、古墳が残っているそうだ。 いつもなら、社殿の裏まで見て回るのに、気付かずに残念。 |
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長い参道。 秋の大祭も見てみたいが、小川町のガメと重なっているので、無理かな・・・ |
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野原八幡宮から移動して、荒尾大師へ。 |
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像の高さは、台座を入れて20mもある。 |
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荒尾大師は慈照院という寺にある。 先代住職の手作りだそうだ。 台座の中が、お寺になっている。 |
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荒尾大師の近くにある「御成門」。 殿様が休憩した、豪商の屋敷にあった門とのこと。 残念ながら、工事中であった。 |
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荒尾市を後にして、玉東町へ移動。 玉東町役場に車を停めて、周辺を観光することにした。 |
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役場の裏手にある「有栖川宮督戦址」。 |
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西南戦争で征討大総督となった陸軍大将「有栖川宮熾仁親王」が、田原坂攻略戦の戦跡を眺めた場所だ。 |
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田原坂方面を臨む。 有栖川宮熾仁親王もこの景色を眺めたのだろうか。 |
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役場の前を通る国道の上には、歩道橋が架かっている。 その歩道橋を渡ると、西南戦争の官軍墓地がある。 |
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高月官軍墓地。 |
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田原坂、吉次峠、横平山で戦死した980名が葬られている。 |
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その後、徳成寺へ向かう。 ここは、正念寺とともに、日本赤十字発祥の地とされているところ。 |
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場所が分かりづらく、国道208号の裏手にある集落をうろちょろしてしまった。 看板は出ているのだが、裏手に入ると、全く案内がないので分からない。 |
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徳成寺は、浄土真宗のお寺。 西南戦争の時、ここで敵味方の区別なく負傷兵を収容、治療した。 |
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徳成寺の裏手に、西南戦争の官軍墓地がある。 |
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官軍の将兵、抜刀隊として参加した警視局巡査ら398名の戦死者が葬られている。 |
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谷村計介の墓もあるそうだ。 |
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徳成寺は、西南戦争時に診療所として使われていた建築物が現存しているとのこと。 西南戦争の遺跡群は、墓地の他にも戦死した場所や激戦地址がある。 今のところ、行政区を越えて西南戦争戦跡を広く紹介するパンフレットはない。 まともに作れば、南九州全域と広大なものになってしまうが、せめて熊本県内だけでも作れないものか。 ルートに入れることにより、これまで誰も行かなかったところにも、光が当たるのではなかろうか。 |
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最後に、植木町千本桜にある乃木大将紀念碑へ。 軍旗を守った河原林少尉は戦死し、軍旗を薩軍に奪われてしまう。 それを知った乃木少佐は、取り返しに行こうとするが部下に止められる。 乃木少佐は、軍旗を奪われたことを一生の恥として、悩み続けたという。 |
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隣に立つ舞尾の板碑。 六体の地蔵菩薩と一体の坐像が彫られている。 高さ2m。 西南戦争戦跡巡りは墓地や石碑ばかりなので、何か一つだけ回っても全然面白くないだろう。 しかし、複数個所回れば、つながりが見えてきて、その魅力が分かるようになると思う。 登場人物は、その後の歴史に大きな影響を与える人ばかり。 薩軍、官軍ともに、魅力的な人物ばかり。 人物を中心に、ストーリーを取り上げれば、人を惹きつける観光地になるのではなかろうか。 |