釈迦院・五家荘(2011.7.24-25)

1年半で、ほぼ熊本県内を回ったが、最後に秘境が残っていた。
それは、平家の落人伝説が残る五家荘。
五家荘とは、椎原、仁田尾、樅木、葉木、久連子地区の総称である。


去年、大変お世話になった上司が八代に転勤。
今回、その上司と一緒に五家荘へ行くことになった。

狭くて曲がりくねった道が延々と続くとのこと。
車酔いの対策も万全で臨んだ。

ここは、氷川ダム。
ダム湖は「肥後平家湖」と名づけられている。

まずは、以前から行きたかった「釈迦院」へ。

軽い気持ちで「行きたい」と言ったが、実際の道のりは、かなり大変。

大行寺山(標高957m)の山頂にある。

本当にあるのかと疑いたくなるくらい、狭い道を延々と登らなければならない。

熊本県の重要文化財に指定されている仏像が多く安置されている。
しかし、中を見ることは出来なかった。

799年、桓武天皇の勅願により奘善台師が開基したとのこと。

中央町にある3333段の石段からも釈迦院へ行くことが出来る。
しかし、これは、かなりきつそうだ。

小西行長による焼き討ちで廃墟になったが、加藤忠広により山門が再建された。

小西行長が釈迦院を焼く時に大豆の殻を使ったとのこと。
そのため、それ以来、この付近一帯では大豆をまいても実らないそうだ。
また、植えたら罰が当たると言われている。

信仰すれば、長患いしないと言われ、「ぽっくり寺」とも呼ばれている。
また、4月8日の釈迦の誕生日には、盛大な例大祭が行われるとのこと。
その際は、みんなどうやって来るのだろうか・・・

苦労して来たのに、仏像ひとつ拝観できず、ちょっと残念。
しかし、こんな山の上に、これだけの寺院があるとは・・・
大学時代から行きたいと思っていた寺だったので、良かった。

釈迦院から狭い道を移動。
五家荘自然塾に到着。

小学校跡地に建てられた宿泊研修施設とのこと。
この日は、開いてなかった。

せんだん轟の滝へ。

ヤマメつかみ大会があっており、多くの人が訪れていた。

せんだん轟の滝入口。

蛇がいないか心配・・・

五家荘では、滝のことを「轟」と呼ぶそうだ。

木々の間から、滝が見えた。
音がすごい。

せんだん轟の滝に到着。

水が綺麗だ。
しかも、すごく冷たい。

高さが70mもあるそうだ。

県内随一の高さを誇る。
間近で見られるので、迫力も満点。
日本でも有数の滝であろう。

せんだん轟の滝の入口にある土産店。
普段も賑わっているのだろうか・・・

道路沿いの展望所から見た「せんだん轟の滝」。
昔、滝の周辺に栴檀の大木があったことから名づけられたそうだ。

場所を移動して、左座家へ。
左座と書いて、「ぞうざ」と読む。

仁田尾の左座家住宅。

菅原道真が亡くなった後、道真の子である菅宰相は藤原氏の追討を逃れて、この地へ移り住んだ。
「左座太郎」と改名し、以来、この地を支配したとのこと。

この建物は、200年前に建てられた。

見たところ、江戸時代の民家といった感じ。

左座家の子孫の方が、建物について丁寧に説明をしてくださった。

外は暑いが、屋敷の中は風が通って涼しい。

2階へ上がる階段。

2階は隠し部屋となっており、階段は外すことが出来る。
追っ手から逃れるためだと言う。

梅の家紋。
菅原家との関係を物語っている。

綺麗に整備された庭。

太宰府天満宮とも関係があるそうだ。

左座家は民宿も経営している。

この民宿で、昼食。
うどんを食べたが、あっさりとして美味であった。

民宿にあった剥製。
狸は、交通事故で顔が潰れたそうだ。
怖い顔をしているのは、テン。

しばらく車を走らせて、ようやく到着したのが、ここ久連子地区。
五木村との境に位置する集落だ。

ここは、久連子古代の里。
シャクナゲの栽培場のほか、山の暮らしと芸能の資料室があった。
食堂や土産店もあったようだが、開いてなかった。
やってないのかも・・・

久連子にしか生息していない久連子鶏。
とても数が少ない貴重な鶏であるとのこと。

この地に残る「久連子古代踊り」は、平家の落人たちが都を偲んで舞ったものと言われる。
久連子鶏の尾の羽を冠に付けて踊るそうだ。

久連子の吊り橋。

吊り橋の下を流れる川。
五木村でも水が綺麗だと思ったが、五家荘の水は透明さが違う。
これほど綺麗な水は見たことがない。

吊り橋は木に覆われていて先に進めなかった。

それほど高くないので、怖くもない。
久連子地区は人口が激減し、限界集落となっているとのこと。
今後、古代踊りなどの伝承も難しくなるだろう。

椎原に戻る途中、美しいダムがあった。
数人のカメラマンが撮影をしていた。

椎原の緒方家。

ここは、ちょっとした集落の中にある。

壇ノ浦の戦いに敗れた平清経が源氏の追悼を逃れて、樅木地区に辿り着いた。

姓を緒方に変えて、子孫である緒方盛行が椎原に住み、この地を支配したとのこと。

2階へ上る階段。

2階は隠し部屋となっており、階段は外すことが出来る。
追っ手から逃れるためだと言う。


建物は、300年ほど前に建てられたとのこと。

平清経は、平清盛の孫にあたる。

五家荘に人が住んでいるということは、南北朝時代まで知られていなかった。
下流に木のお椀が流れてきて、この山奥に人が住んでいることが判明。
菊池武重は追討の兵を出そうとしたが、山深かったため断念したとのこと。

緒方家の子孫も続いているそうだ。

緒方盛行の弟である近盛が久連子を治め、末弟である実明が葉木を治めた。

緒方家がある椎原は、五家荘の中でも比較的、民家が密集している。

次に訪れたのは、五家荘平家の里。

ここで入場料を払う。

古民家を利用した山菜食堂。

こちらは、休憩所。

坂を上ると、能舞台と平家伝説館が現れた。

資料館では、鬼山御前の話が紹介されていた。
鬼山御前は、屋島の戦いで那須与一が狙った扇を持っていた女官。
御前は五家荘へ逃れ、追討に来た那須与一の息子である小太郎と恋に落ちた。

椎葉村にも同じような話があるが、椎葉村は鶴富姫と那須大八。
こちらは、那須与一の弟だ。

鹿園へ行く途中、下の方に見えた集落。

あそこには、どうやって行くのだろう・・・

平家の里自体が、かなり高いところにあるようだ。
実は、ここに来る途中、寝ていたので、よく分からない・・・

鹿園のバンビ。

フェンスに囲まれて、飼われている。
鹿は木の皮を食べて枯らしてしまうので、害獣だ。

平家の里を後にして、今日最後の訪問地・佐倉宗吾縁の地へ。

下総の国で直訴をして処刑された佐倉宗吾。
もともとは、葉木緒方家の出身であるとのこと。

今も子孫が佐倉荘という民宿をしている。

この民宿も評判が良くて、利用する人が多いそうだ。

本日の宿である平家荘。
広い道路から山一つ入ったところにある秘境の宿だ。

ヤマメやニジマスの養殖をしている。

客室は、この渡り廊下の先にある。

ニジマスが泳ぐ池。

広い客室。
テレビは置いてない。
ワンセグも電波を捉えきれなかった。

こんな静かなところで、テレビを見る必要はない。
たまには、こんな夜も良いもんだ。

広い敷地内には、ロッジもある。

こちらもニジマスの養殖場。

お風呂も綺麗。

お風呂から見える川。
水が綺麗だ。

客室がある建物。
この辺一帯は集落があったが、住む人がいなくなったので、買い取ったそうだ。
平家荘以外は、数軒しか残ってないとのこと。
まさに、限界集落だ。

夕食を食べる棟。
こちらも昔は、人が住んでいたそうだ。

立派な囲炉裏。

我々が食べるのは、こちらの囲炉裏。

手書きのお洒落なお品書き。

前菜。
ヤマメ卵、鹿角煮、栗しぶ皮煮、コンニャクなど。
初めて食べるものが多いが、とても美味。

つららを冷凍保存していたそうだ。
粋な演出である。

しかも、このお酒が実に美味。

ニジマスの刺身とヤマメのせごし。
海の魚に負けてない。

とても美味しかった。
もっと食べたかった・・・
これだけを食べに来る価値があると思う。

「火は語らずにして、十人の友を作る」と宿の主人が言っていた。
この民宿では、必ず囲炉裏に火を入れるそうだ。


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