1年半で、ほぼ熊本県内を回ったが、最後に秘境が残っていた。 それは、平家の落人伝説が残る五家荘。 五家荘とは、椎原、仁田尾、樅木、葉木、久連子地区の総称である。 去年、大変お世話になった上司が八代に転勤。 今回、その上司と一緒に五家荘へ行くことになった。 狭くて曲がりくねった道が延々と続くとのこと。 車酔いの対策も万全で臨んだ。 ここは、氷川ダム。 ダム湖は「肥後平家湖」と名づけられている。 |
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まずは、以前から行きたかった「釈迦院」へ。 |
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軽い気持ちで「行きたい」と言ったが、実際の道のりは、かなり大変。 |
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大行寺山(標高957m)の山頂にある。 |
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本当にあるのかと疑いたくなるくらい、狭い道を延々と登らなければならない。 |
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熊本県の重要文化財に指定されている仏像が多く安置されている。 しかし、中を見ることは出来なかった。 |
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799年、桓武天皇の勅願により奘善台師が開基したとのこと。 |
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中央町にある3333段の石段からも釈迦院へ行くことが出来る。 しかし、これは、かなりきつそうだ。 |
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小西行長による焼き討ちで廃墟になったが、加藤忠広により山門が再建された。 |
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小西行長が釈迦院を焼く時に大豆の殻を使ったとのこと。 |
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信仰すれば、長患いしないと言われ、「ぽっくり寺」とも呼ばれている。 また、4月8日の釈迦の誕生日には、盛大な例大祭が行われるとのこと。 その際は、みんなどうやって来るのだろうか・・・ |
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苦労して来たのに、仏像ひとつ拝観できず、ちょっと残念。 しかし、こんな山の上に、これだけの寺院があるとは・・・ 大学時代から行きたいと思っていた寺だったので、良かった。 |
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釈迦院から狭い道を移動。 五家荘自然塾に到着。 小学校跡地に建てられた宿泊研修施設とのこと。 この日は、開いてなかった。 |
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せんだん轟の滝へ。 |
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ヤマメつかみ大会があっており、多くの人が訪れていた。 |
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せんだん轟の滝入口。 |
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蛇がいないか心配・・・ |
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五家荘では、滝のことを「轟」と呼ぶそうだ。 |
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木々の間から、滝が見えた。 音がすごい。 |
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せんだん轟の滝に到着。 |
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水が綺麗だ。 しかも、すごく冷たい。 |
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高さが70mもあるそうだ。 |
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県内随一の高さを誇る。 間近で見られるので、迫力も満点。 日本でも有数の滝であろう。 |
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せんだん轟の滝の入口にある土産店。 普段も賑わっているのだろうか・・・ |
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道路沿いの展望所から見た「せんだん轟の滝」。 昔、滝の周辺に栴檀の大木があったことから名づけられたそうだ。 |
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場所を移動して、左座家へ。 左座と書いて、「ぞうざ」と読む。 |
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仁田尾の左座家住宅。 |
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菅原道真が亡くなった後、道真の子である菅宰相は藤原氏の追討を逃れて、この地へ移り住んだ。 「左座太郎」と改名し、以来、この地を支配したとのこと。 |
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この建物は、200年前に建てられた。 |
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見たところ、江戸時代の民家といった感じ。 |
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左座家の子孫の方が、建物について丁寧に説明をしてくださった。 |
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外は暑いが、屋敷の中は風が通って涼しい。 |
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2階へ上がる階段。 |
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2階は隠し部屋となっており、階段は外すことが出来る。 追っ手から逃れるためだと言う。 |
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梅の家紋。 菅原家との関係を物語っている。 |
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綺麗に整備された庭。 |
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太宰府天満宮とも関係があるそうだ。 |
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左座家は民宿も経営している。 |
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この民宿で、昼食。 うどんを食べたが、あっさりとして美味であった。 |
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民宿にあった剥製。 狸は、交通事故で顔が潰れたそうだ。 怖い顔をしているのは、テン。 |
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しばらく車を走らせて、ようやく到着したのが、ここ久連子地区。 五木村との境に位置する集落だ。 |
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ここは、久連子古代の里。 シャクナゲの栽培場のほか、山の暮らしと芸能の資料室があった。 食堂や土産店もあったようだが、開いてなかった。 やってないのかも・・・ |
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久連子にしか生息していない久連子鶏。 とても数が少ない貴重な鶏であるとのこと。 この地に残る「久連子古代踊り」は、平家の落人たちが都を偲んで舞ったものと言われる。 久連子鶏の尾の羽を冠に付けて踊るそうだ。 |
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久連子の吊り橋。 |
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吊り橋の下を流れる川。 五木村でも水が綺麗だと思ったが、五家荘の水は透明さが違う。 これほど綺麗な水は見たことがない。 |
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吊り橋は木に覆われていて先に進めなかった。 |
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それほど高くないので、怖くもない。 久連子地区は人口が激減し、限界集落となっているとのこと。 今後、古代踊りなどの伝承も難しくなるだろう。 |
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椎原に戻る途中、美しいダムがあった。 数人のカメラマンが撮影をしていた。 |
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椎原の緒方家。 |
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ここは、ちょっとした集落の中にある。 |
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壇ノ浦の戦いに敗れた平清経が源氏の追悼を逃れて、樅木地区に辿り着いた。 |
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姓を緒方に変えて、子孫である緒方盛行が椎原に住み、この地を支配したとのこと。 |
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2階へ上る階段。 |
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2階は隠し部屋となっており、階段は外すことが出来る。 追っ手から逃れるためだと言う。 |
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建物は、300年ほど前に建てられたとのこと。 |
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平清経は、平清盛の孫にあたる。 |
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五家荘に人が住んでいるということは、南北朝時代まで知られていなかった。 下流に木のお椀が流れてきて、この山奥に人が住んでいることが判明。 菊池武重は追討の兵を出そうとしたが、山深かったため断念したとのこと。 |
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緒方家の子孫も続いているそうだ。 |
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緒方盛行の弟である近盛が久連子を治め、末弟である実明が葉木を治めた。 |
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緒方家がある椎原は、五家荘の中でも比較的、民家が密集している。 |
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次に訪れたのは、五家荘平家の里。 |
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ここで入場料を払う。 |
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古民家を利用した山菜食堂。 |
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こちらは、休憩所。 |
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坂を上ると、能舞台と平家伝説館が現れた。 |
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資料館では、鬼山御前の話が紹介されていた。 鬼山御前は、屋島の戦いで那須与一が狙った扇を持っていた女官。 御前は五家荘へ逃れ、追討に来た那須与一の息子である小太郎と恋に落ちた。 椎葉村にも同じような話があるが、椎葉村は鶴富姫と那須大八。 こちらは、那須与一の弟だ。 |
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鹿園へ行く途中、下の方に見えた集落。 |
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あそこには、どうやって行くのだろう・・・ |
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平家の里自体が、かなり高いところにあるようだ。 実は、ここに来る途中、寝ていたので、よく分からない・・・ |
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鹿園のバンビ。 |
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フェンスに囲まれて、飼われている。 鹿は木の皮を食べて枯らしてしまうので、害獣だ。 |
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平家の里を後にして、今日最後の訪問地・佐倉宗吾縁の地へ。 |
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下総の国で直訴をして処刑された佐倉宗吾。 もともとは、葉木緒方家の出身であるとのこと。 |
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今も子孫が佐倉荘という民宿をしている。 |
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この民宿も評判が良くて、利用する人が多いそうだ。 |
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本日の宿である平家荘。 広い道路から山一つ入ったところにある秘境の宿だ。 |
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ヤマメやニジマスの養殖をしている。 |
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客室は、この渡り廊下の先にある。 |
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ニジマスが泳ぐ池。 |
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広い客室。 テレビは置いてない。 ワンセグも電波を捉えきれなかった。 |
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こんな静かなところで、テレビを見る必要はない。 たまには、こんな夜も良いもんだ。 |
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広い敷地内には、ロッジもある。 |
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こちらもニジマスの養殖場。 |
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お風呂も綺麗。 |
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お風呂から見える川。 水が綺麗だ。 |
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客室がある建物。 この辺一帯は集落があったが、住む人がいなくなったので、買い取ったそうだ。 平家荘以外は、数軒しか残ってないとのこと。 まさに、限界集落だ。 |
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夕食を食べる棟。 こちらも昔は、人が住んでいたそうだ。 |
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立派な囲炉裏。 |
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我々が食べるのは、こちらの囲炉裏。 |
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手書きのお洒落なお品書き。 |
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前菜。 ヤマメ卵、鹿角煮、栗しぶ皮煮、コンニャクなど。 初めて食べるものが多いが、とても美味。 |
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つららを冷凍保存していたそうだ。 粋な演出である。 しかも、このお酒が実に美味。 |
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ニジマスの刺身とヤマメのせごし。 海の魚に負けてない。 とても美味しかった。 もっと食べたかった・・・ これだけを食べに来る価値があると思う。 |
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「火は語らずにして、十人の友を作る」と宿の主人が言っていた。 この民宿では、必ず囲炉裏に火を入れるそうだ。 五家荘2をクリックして、次のページへ |