活人形めぐり(2011.7.23)

今日は、市内を巡る旅。

以前、熊本市現代美術館で「活人形」展を見た。
ものすごく人形がリアルで、とても強い印象が残っている。

その活人形の傑作が、熊本市内の寺に安置されている。
見てみたいと思っていたが、なかなかその機会がなかった。
今日は、他の気になっている場所と併せて、一気に巡ることにした。

ここは、北熊本にある浄国寺。
国道3号から少し入ったところにある。

谷汲観音像。
別名、巡礼姿観音像である。

今回、事前に申し込んで、拝観させてもらった。

作者は、松本喜三郎。
熊本市迎町の出身。
活人形師として、不動の地位と名声を築いた。

人形師平田郷陽は、松本喜三郎を造形美術の祖と評した。

日本初の人体内臓模型を製作し、ウィーン博覧会で好評を博した。
また、近年、スミソニアン博物館で作品が発見されたとのこと。

観音様が巡礼の姿を借りて、迷っている人を導いた姿を表している。

観音像は等身大で、圧倒的な存在感があった。
ここでは住職の説明を聞きながら、間近で見ることが出来る。
熊本にしかない活人形の観音様。
一見の価値がある観音像である。

次に向かったのは、JR熊本駅の裏手にある来迎院。
この辺りは、新幹線駅の整備に伴う区画整理のため、道が分かりづらくなった。

お寺は改築されたようだが、周辺には古い街並みが残っている。

お寺の人に拝観を申し出て、見せてもらうことになった。

こちらは、閻魔様。

聖観世音菩薩像。

作者は、松本喜三郎である。

浄国寺の観音像と違い、髪は毛状にはなっていない。

高さは、浄国寺のものと比べて低い。

浄国寺の観音像と比べるとリアルさには欠けるが、とても美しい姿をしている。

こちらの観音様も圧倒的な存在感を持っている。

浄国寺も来迎院も親切な応対をしてくださり、ゆっくりと拝観することが出来た。
テレビで取り上げられてから、観光客が増えたそうだ。
観音様を拝観する際は、礼儀を守って、静かにお参りすること。

熊本にしかない観音像。
貴重な観光資源だが、セキュリティが大変そうだ。

来迎院は、この神社の裏手にある。
区画整理で道が分かりづらいが、この神社を目印にすると良い。

さらに、この近くに布田保之助の墓があった。

通潤橋を設計した人である。
こんなところで墓を発見するとは・・・

私レベルの歴史好きになると、文化財の方が寄って来る。

ちょっと場所を移動して、蓮台寺へ。

予想よりも大きなお寺。
さすが、町名にもなるくらいの寺だ。

ここは、「桧垣」の伝承で有名。
太宰府や京の都で名花ともてはやされたが、藤原純友の乱に遭って家財を失った。
その後、この地に草庵を結び、観音菩薩像を安置し、信仰の日々を過ごしたとのこと。

説明板はあるが、どこに墓があるのか分からなかった。
この三重塔の由来は、何であろうか・・・

蓮台寺は、別名「桧垣寺」とも呼ばれている。

境内には、石仏がたくさん安置されている。
夜中は、かなり不気味だろうな・・・

蓮台寺の横にある天満宮。

熊本水遺産のめぐりの幟がある。
しかしながら、詳しい説明がない・・・

桧垣の井戸。
ここで汲んだ水を持って、岩戸観音まで日参したとのこと。
岩戸観音は、霊巌洞がある辺り。
かなり遠いが、桧垣の信仰の強さを表しているのであろう。

大きな石碑があったが、どういうものか分からなかった。

蓮台寺には、桧垣の像が安置されているそうだ。
申し込めば、見せてもらえるのだろうか・・・

史跡は残っているのに、説明が不十分。
雰囲気があるのに、もったいない・・・

またまた移動して、薩摩屋敷跡。
ここは、JR熊本駅から国道3号に入ったところ。

参勤交代の際に、島津公が休息等に利用したところとのこと。

平成14年に解体されたと説明があるが、この蔵は何なのだろうか。
国道3号を通る際に、いつも気になっていた。
今回、車を降りて見てみたが、結局、分からなかった。

また、明治〜大正期にロシアで情報収集に努めた石光真清の記念館を探したが、標柱だけで建物を見つけきらなかった。
記念館は、撤去されたのだろうか・・・
後で、調べてみなければ・・・

今日は、盛りだくさん。
次の場所は、新町にある「清爽園」。

ここは、「札の辻」と呼ばれた場所。
ここを起点にして、里数が数えられた。
今も「一里木」「二里木」「三里木」といった地名が残っているが、ここが起点なのである。

清爽園は、1878年に西南戦争等の戦没者を祭るために作られた公園。

池に架かる石橋が、何とも風情があって良い。

その後、公園は荒廃したが、有志により美観が取り戻された。
1929年には、辛島市長により「清爽園」と名付けられた。

辛島市長は、練兵場の移転に尽力し、熊本市中心部の発展に貢献した。
その功績を記念して、町名及び公園名に、市長の名が付けられた。

公園の奥にある戦没者記念碑。

公園の石は、乃木希典が旧花畑邸の庭石の払い下げを受けたものとのこと。
ここは、熊本城にも近く、由来もあり美しい公園なので、もっと取り上げた方が良いのではなかろうか。
叢桂園、釣耕園、採釣園とともに、もっと活用すべきだと思う。

新町をちょっと散策。

途中、路地で銭湯を発見。
後で調べてみると、「電信町のくすり湯」といい、江戸時代からあるとのこと。
日本三大人工温泉の一つだそうだ。
知る人ぞ知る、銭湯とのこと。
かなり、興味津々。
一度、入ってみなければ・・・

最後に訪れたのは、御客屋跡。
肥後藩の迎賓館で、幕末には軍艦奉行勝海舟と坂本龍馬が宿泊した。
明治5年には、明治天皇が西郷隆盛・従道とともに、熊本巡幸の際に宿泊した。

新町周辺は、先ほどの「くすり湯」といい、奥が深い。
熊本城とセットで、どうにか観光客がまちあるきを楽しめるような場所にできないものか。
歴史を楽しく、興味深く説明できる工夫と人材が必要だと思う。
新町周辺は、毎回何か発見がある。
熊本でも好きな場所の一つだ。

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