今日は、仕事で山都町へ。 朝早いので、まだ誰もいない通潤橋。 久しぶりに訪れた。 |
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カメラが新しくなり、横長に写真が撮れるようになった。 それを記念して、道の駅を撮影。 |
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布田保之助の像。 通潤橋を作った人物だ。 |
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水面に映る通潤橋。 なかなか良い感じだ。 |
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通潤橋の上を歩く。 |
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手すりがないので、怖い。 よく人が落ちないものだ。 かえって、手すりがないのが良いのかもしれない。 |
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通潤橋の揮毫は、宮部鼎蔵のものという。 布田保之助と友人だったとのこと。 それから分かるように、布田は江戸期とはいえ、極めて幕末に近い人物なのである。 通潤橋は1854年に造られた。 また、布田保之助は明治6年に亡くなっている。 |
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現場事務所として使われた建物が、御小屋として残されている。 今は、資料館になっている。 |
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放水が始まった。 |
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ちょっと怖いので、あまり覗き込むことが出来ない。 |
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これが精いっぱい。 子供は平気なのか、余裕で見ている。 |
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吹き出し口。 すごい勢いだ。 |
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先ほどと反対側。 こちらには田が広がっている。 |
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白糸大地に水を運ぶために作られた水路橋である。 今も現役で活躍している。 |
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布田保之助の遺訓。 勤勉、勤労、自治。 |
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通潤橋の近く。 石切り場だったとのこと。 |
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浜町商店街へ移動。 八朔祭の山車であろうか。 何か作っていた。 |
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梅太郎で昼食。 山都町はコロッケ街道として、コロッケに力を入れている。 梅肉が入っているので、ちょっと苦手だったが、美味であった。 |
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浜町を歴史散策。 日向往還が通っており、古い石垣や石橋が残っている。 普段は、歩いて見て回ることはしないので、良い機会となった。 |
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日向往還の道標。 |
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浜町橋。 たびたび拡張、補強がされており、石橋とは分かりづらい。 しかし、石橋であるから、このように草が生えているそうだ。 |
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雰囲気の良い建物があった。 旅館だったそうだ。 |
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西の御手洗。 湧水があったが、今は枯れているとのこと。 |
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浜町橋からの眺めは、昔の風景を思わせる。 風情があって良い。 |
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妙見神水。 東の御手洗ともいわれる。 ここは、今もこんこんと水が湧き出ている。 |
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飲用には適さないとのこと。 水温は、とても冷たかった。 |
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妙見の大ケヤキ。 樹齢千年、33mを超える大木だったが、平成15年に根元が腐り、倒壊した。 いま、新芽が出てきているそうだ。 |
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通潤酒造の裏手を通る。 大きな酒造会社だ。 |
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ここから車で移動。 笹原川の上流へ向かう。 |
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円形分水。 受益面積に従い、7:3の割合で分かれるように作られている。 |
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円形分水に接続する水路。 笹原川の上流につながっている。 |
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笹原の石堰。 造詣が美しい。 ここの水が、通潤橋までつながっている。 通潤橋も、この壮大な施設の一部に過ぎない。 |
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帰りに、浜町にある「おちかラーメン」へ。 美味しいと評判のお店だそうだ。 |
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超大盛ラーメンを注文。 職場の人と3人で仲良く取り分けて食べたが、ニンニクが効いて、なかなかの美味。 3人でちょうど良いくらいの量であった。 また、食べに行こう。 |
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すっかり夕方になってしまった。 やはり、ゆっくり歩いて散策すると、いろいろと発見があって良い。 そのためには、きちんと説明が出来て、楽しく案内が出来るガイドさんが必要。 山都町には、自分の町が大好きというガイドさんがいるので、大丈夫。 通潤橋は、こういうガイドさんの説明があると3倍も4倍も魅力が増すだろう。 ぜひ、今度は、ガイドさんを付けて、ゆっくりと観光したいものだ。 |
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