山都町・内大臣橋・鮎の瀬大橋(2011.8)

気になるところがあったので、山都町へ。
最近、仕事も含めて、山都町ばかり・・・

今日は道を変えて、御船町から山都町へ入ることにした。
七滝へ行く道と同じ国道445号だ。

途中、下鶴橋で下車。

先日、職場の人から下鶴橋の欄干を見たかと尋ねられた。
下鶴橋は見たことがあったが、欄干は注意して見てなかった。

これか・・・
徳利の細工があった。

向かい側には、杯の細工。
石工の遊び心である。

反対側には、太陽と月か?

これは、何だろうか・・・

下鶴橋。
2回来るとは思わなかったが、面白い橋だ。

七滝を見に行った際に気になっていた石碑。
山口繁少尉の碑。

満州事変で戦死し、軍人の鏡として仰がれたとのこと。
ようやく説明を読むことが出来て、良かった。
御船町の出身なのだろうか。
もっと掘り起こしても良い人物なのではなかろうか。

山都町に到着。

通潤橋の近くにある国民宿舎通潤山荘。
八朔祭で作られた仁王像が迎えてくれる。

ここでトイレ休憩。

場所は変わり、ここは円形分水。
数日前に来たばかりだが、今日は嫁に見せるために再来訪。

7:3の割合で水が分かれるように作られている。
受益面積に応じて、用水の割合が決まったとのこと。
昭和31年に作られた。

円形分水の仕組み。
真ん中は深そうだ。

円形分水へ続く水路。

笹原川。

笹原川は、平らな岩が並んでいる。
阿蘇の噴火と関係しているそうだ。

取水口へ着いた。

とても綺麗な川の流れだ。

大雨の際は、この堰を閉めるそうだ。

先の方で、笹原川と水路が同じ高さになっている。
かつては、取水を巡って争いが絶えなかったそうだ。

ここは、円形分水の近く。
この水路は、通潤橋へ続いている。
6kmもあるそうだ。

ここから通潤橋まで続いているのだから、考えてみたら壮大な一大施設だ。
通潤橋だけ見ても、この壮大さはなかなか分からない。

場所は変わって、山都町の中心街・浜町へ。

交差点にあった三猿の像。

通潤酒造
1770年創業とのこと。

通潤という銘柄の酒を販売している。
まだ、ここの酒は飲んだことがないので、いちど試してみたいものだ。

浜町の商店街は、ひととおりの店が揃っている。
先ほどの通潤酒造などもあるので、まちあるきに適している。

良い感じの町並みである。

矢部のケンチキこと、丸重ミート。
最近、よくテレビで紹介される有名店だ。

ずっと気になっていたが、今回初めての購入。
ケンチキとは似て非なるものだが、量も多く、ぴりっと辛めで美味しい。

帰りに、内大臣橋の表示があったので、そちらへ寄ることにした。
すると、道が狭くて、くねくね。
から揚げを少し食べていたので、少し酔ってしまった。

とにかく前へ進んでいると、やがて、内大臣橋が現れた。
名前と違い、いたって近代的な橋であった。

昭和38年10月に完成。
長さは199.5m、高さは88m。

以前は、赤色だったとのこと。

この写真で高さが伝わるだろうか・・・

これは、かなり高い。
この川の上流に、秋の紅葉が素晴らしい緑仙峡内大臣峡があるとのこと。

かなり辺鄙な場所なのだが、集落が見える。
ここから買い物等へ行くのは、かなり大変なのではなかろうか・・・

来た道を戻るわけにはいかないので、先へ進むことに。
すると、鮎の瀬大橋の表示があった。
鮎の瀬大橋には行ったことがあるので、表示に従って進む。

途中、「平家の湯」なる民宿を発見。
すごい秘境の宿だ。

ちょっとした集落を抜けると、また道が狭くなってきた。
この辺の山は、面白い形をしている。

途中、キャンプ場があった。
その先には、鮎の瀬大橋が見える。
それにしても道が狭い。

どうにか、鮎の瀬大橋に到着。
ここまで来れば、一安心。

内大臣橋もすごかったが、鮎の瀬大橋の規模は桁違い。

この橋もアートポリスの作品の一つだそうだ。
タワーの高さは、138mもある。

鮎の瀬大橋から下を見てみる。
高すぎて、高いという感覚が失われるほど。

キャンプ場には何人か客がいるようだ。
先ほど、この近くを通ったのだが、道ですれ違わなくて良かった。

反対側の景色。
こちらもあまりに高すぎて、よく分からない感じ。

菅地区へ進む道。
縁側カフェをやっているところだ。

まだ行ったことがない。
いつか行ってみたいと思っているが・・・

物産販売所。
ここで、山菜を購入した。

田舎のお婆さんが売っているので、全然商売っ気がない。
それもこの地域の良いところかもしれない。

今日は気になっていた内大臣橋へ行けたので、良かった。
なかなかハードな一日であった・・・

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