長崎近郊のウォーキング 2006年

さるく達人 さるく博は終わってしまいましたが...
42コースに設けられているスタンプを全て集め「さるく達人」認定&金バッジをゲット、銀と銅バッチも集めました。
ガイド付の「長崎通さるく」は全31コースでカミサンは全コース制覇、私は諸事情で29コース。
さるく博が盛況だったので来年も品を変え継続するそうです、良かった。
2006.9.30 長崎さるく博'06「長崎奉行所を訪ねて〜時代を超えた長崎の中心地〜」 カミサン同行
コース : 長崎県庁→旧外浦町由来碑→長崎家庭裁判所・長崎簡易裁判所→大音寺坂(天満坂)→長崎地方法務局→九州農政局長崎農政事務所→長崎市立桜町小学校→長崎歴史文化博物館
さるく博HPより引用「この界隈は、元亀元年( 1570)の開港後、町建てが行なわれた南蛮貿易時代から、江戸時代、明治時代以降と、常に長崎の中心であり続けている場所です。長崎県庁と長崎歴史文化博物館、この長崎奉行所が置かれていた双方を結ぶ道とその沿道には、各時代の遺構や物語がたくさんあります。さるけばさるく程、その魅力に思わずハマってしまう魅惑のコースです。」

県庁のる場所、ポルトガル時代のこの地はイエズス階本部がありキリスト教布教の拠点。江戸時代は長崎奉行所西役所、海軍伝習所があったとか。
さるく博も終了、長崎学は面白い!
2006.9.30 長崎さるく博'06「四百年の歴史を誇る植木技術と庭園 〜古賀・植木の里散策〜」 カミサン同行
コース:迎仙閣 (ぎょうせんかく)→雄光苑→赤瀬邸→茂樹園→昭緑園→共楽園→恵比須神社→松花園→南荘園→久保田植木・越樹園
さるく博HPより引用「400年の歴史を誇る古賀「植木の里」には、樹齢約600年を誇る日本一のラカンマキを主木とした枯山水庭園や九州屈指の高級盆栽など数々の見所があります。豊かな自然環境と四季折々の美しさを楽しめるこのコースは一見の価値ある癒しの空間といえましょう。」
何だ植木か...歩いてみると実に面白い! 散策コースもあるので日を改め歩こうかと。
2006.9.30 長崎さるく博'06「高島秋帆旧宅跡から大徳寺へ 〜江戸、明治の風情が残る奥丸山〜」 カミサン同行
コース 「長崎茂木街道ここに始まる」の碑→光寿山正覚寺→高島秋帆旧宅跡→福屋跡→玉泉神社→三島屋→中の筑後屋跡 (青餅亭跡)→勅使坂→楠稲荷神社→菊水の梅ヶ枝餅→ 大徳寺公園(大徳寺跡)→梅香崎神社(天満宮)
さるく博HPより引用「江戸時代、長崎の主要街道の一つだった旧茂木街道の始点を出発すると、古い石垣や石塀、神社の鳥居や名物の梅ヶ枝焼餅など、江戸、明治時代の長崎が偲ばれる風景に出会えます。奥丸山の名にふさわしい、しっとりとした長崎の一面を探して、ぶらり、さるくといたしましょう。」
見慣れているつもりが一歩踏み込むと知らないことばかり、今回もへ〜!の連続
2006.9.30 長崎さるく博'06「@今も弘法さんの伝説が残る街〜海と緑と太陽と造船の香焼〜A平安時代に開かれた長崎の要所〜点在する寺社巡りで野母崎再発見〜 カミサン同行
ガイド付コースでは無いのでガイドブック片手に探索、暑い日ですが楽しく歩き回りました。
2006.9.24 長崎さるく博'06「軍艦島・高島巡遊」 カミサン同行
さるく博より引用「大正から昭和30年頃まで高層住宅が建てられ、現在は無人島となった軍艦島の姿を間近で見ることができます。また石炭資料館など高島島内を散策しながら、地元の方の高島に対する誇りと思いを聞くことができます。」
今日は「学さるく」、人気コースなので予約を入れやっと実現。カミサンと二人で計¥8,000で高いかなと思いきや、満足度200%でした。
2006.8.26 長崎さるく博'06「深堀町城下町探訪〜語り継がれる深堀義士伝の町」 カミサン同行
コースは 浄土真宗本願寺派 亀登山 円成寺の梵鐘(市指定有形文化財)→深堀神社→深堀神社の鳥居[旧幸天宮石神門 (こうてんぐうせきしんもん)](市指定有形文化財)→深堀貝塚遺跡資料館→馬場崎経塚→曹洞宗 金谷山 菩提寺→十人義士の墓→深堀鍋島家墓地(市指定史跡)→五官の墓(市指定史跡)→深堀陣屋跡碑→アコウの木(市指定天然記念物)
さるく博HPより引用「長崎市唯一の城下町、深堀。遥か縄文時代からの多彩な歴史・文化の歩みをしめす貴重な遺跡や史跡を数多く残しています。長崎では珍しい武家屋敷の風情を残す石塀群やきれいな水路を利用したビオトープなど、美しく懐かしいまちなみは、きっと訪れた人の心を癒してくれるでしょう。」
城下町だとは知っていましたが「赤穂浪士の討ち入り」のモデルになったとか。
2006.8.20 長崎さるく博'06「夕日が美しいキリシタンの里〜遠藤周作が魅せられた町」 カミサン同行
コースは 外海歴史民俗資料館→沈黙の碑→ド・ロ神父記念館→旧出津救助院跡→出津教会→外海子ども博物館
さるく博HPより引用「キリシタンの苦難に満ちた歴史と、角力灘に沈む美しい夕陽で知られる外海エリア。なかでも弾圧時代のキリシタン史跡が数多く残るのが、黒崎、出津界隈です。美しい表情を見せる大海原の傍らでは、昔から深い信仰と愛に満ちたドラマが繰り広げられ、今もその面影が見え隠れしているのです。 」
外海町はお気に入りの場所で良く訪れていますが、説明を受けると知らないことばかり。さるく博後に遠藤周作文学館に入館、「ころぶ」の意味が分かったような。
2006.8.19 長崎さるく博'06「媽祖様と唐りゃんせ〜唐人屋敷の歴史」 カミサン同行
コースは 広馬場商店街→まちづくり情報センター→館内市場他→土神堂(市指定史跡)→天后堂(市指定史跡)→観音堂(市指定史跡)→福建会館(市指定有形文化財:正門・天后堂)
さるく博HPより引用「四隅モニュメントを訊ね歩けば、美しい「媽祖」様を守りながらギョロ目の妖怪?たちが“とうせんぼ”。一歩踏み入れると迷路の中に、中国がかくれんぼ。迷い込むほどに温かくて楽しくて懐かしい。そんな不思議な時空へ行き交う人も猫たちも熱烈歓迎!“唐りゃんせ”をしてくれるコースなのです。」

冬のランタンフェスティバルで唐人屋敷界隈を歩いたことはありますが、屋敷の中は広く昔の面影も残っていました。
2006.8.16 長崎さるく博'06「今も生きている?怪談話〜【飴屋の幽霊】を聞く会」 カミサン同行
さるく博HPより引用「毎年8月16日に幽霊像がご開帳となる光源寺。その幽霊にまつわる言い伝えを住職から聞き、舞台の物語となった界隈を散策します。」

260年前に作られた産女(うぐめ)の幽霊像、テレビで見たことはありますが目の前にすると...昔は子供を抱いていたそうです。子を思う気持ちが幽霊となって飴を買いにゆく、愛情が希薄となった現代に幽霊の愛情を分かって欲しいとの住職談。
また幽霊像は原爆に遭ったとのことでした。
2006.8.14 長崎さるく博'06「長崎はローマだった」 カミサン同行
日本二十六聖人殉教地 (西坂公園)→日本二十六聖人記念館→聖フィリッポ教会(西坂教会)→本蓮寺→福済寺(ふくさいじ)→聖福寺(しょうふくじ)→迎陽亭(こうようてい)跡→田中旭栄堂(たなかきょくえいどう)→西勝寺(さいしょうじ)→中町教会(なかまちきょうかい)
さるく博HPより引用「天正 8年、キリシタン大名・大村純忠は、イエズス会に長崎と茂木の町を寄進。当時、長崎はローマだったのです。殉教の地である西坂の丘から、キリシタンにまつわる物語が数多く残る小径をそぞろ歩きます。」

キリスト教を排斥するためにお寺を集めた筑後町界隈、色々な物語が眠っていました。
2006.8.5 長崎さるく博'06「茂木みなと散策」 カミサン同行
茂木町新四国八十八ケ所霊場めぐり四十四番札所→茂木枇杷記念碑→村山等安別邸跡→若菜川→裳着 (もぎ)神社→池山邸→浄土宗 松尾山 玉台寺→クラフトベーカリー オロン→茂木漁港岸壁→茂木一○香本家

さるく博HPより引用「長崎の奥座敷」ともいわれる茂木は、豊富な魚種が水揚げされる港を中心に、それらを存分に味わえる料亭が点在。町を歩いてみると、味わい深い石蔵や鎧戸のあるお屋敷が残っていて、魅惑的な町並みを形成しています。せっかくだから美味しい魚でも食べて帰りましょうか。」

長崎の歴史は400年,茂木の歴史は1700年! 地名・茂木の由来などへぇ〜
2006.8.12 長崎さるく博'06「松森神社から諏訪神社へ」 カミサン同行
諏訪神社の陰陽石→ラナルド・マクドナルド顕彰碑→料亭 富貴楼 (ふうきろう)→松森神社(天満宮)→松森神社の職人尽→諏訪神社の願掛け狛犬→鎮西大社 諏訪神社→長崎公園→月見茶屋のぼた餅→東照宮(安禅寺跡)→諏訪神社の文学碑と顕彰碑

さるく博HPより引用「宗教とも密接な関わりを持つ長崎の歴史の中で、現在の松森、諏訪の両神社は古くから多くの人々に親しまれてきた長崎の信仰の聖地とも呼べる神社です。そしてもちろん、 2つの神社には、数多くの見どころ、興味深い歴史とその遺構が残されています。ぜひたっぷり時間をかけてさるいてみましょう。」

見所は諏訪神社の境内、カッパ狛犬など知らない事がテンコ盛。
2006.8.5 長崎さるく博'06「懐かしの町並み」 カミサン同行
アルコア中通り→青空市場→岩永梅寿軒→上野彦馬生誕地→ししとき川→町屋造り(縁粋、氣楽家など)→きっちんせいじ→袋橋→眼鏡橋(国指定重要文化財)→江崎べっ甲店

さるく博HPより引用「道の両サイドには町屋造りの古い民家や大正時代の洋館がちらりほらりと残って、珍しい専門店の老舗だってしっかり営業。懐かしさと新しさが渾然一体となったストリート感が楽しい!通りを歩く、角を曲がる楽しみを存分に味わえる「お得」なコースです。」

中通りには昔入り浸っていた模型店がありましたが、沢山の歴史が詰まっているとは...
2006.7.30 長崎さるく博'06「アンゼラスの鐘の丘を訪ねて」 カミサン同行
11時2分のモニュメント→稚桜神社(わかざくらじんじゃ)〈山里・浜口町原爆殉難者慰霊碑〉→旧長崎医科大学〈現長崎大学医学部〉→角尾(つのお)学長胸像→旧長崎医科大学の正門門柱→旧長崎医科大学附属医院〈現長崎大学医学部附属病院〉と古屋野教授→詩人・福田須磨子宅跡→山王神社 二の鳥居〈一本柱鳥居〉→山王神社と大クス→被爆仏像

さるく博HPより引用「第2の浜町といわれるほど活気あるこの浦上一帯に、1945年8月9日、一発の爆弾が落とされます。原爆投下前、そして後。懸命に生きぬいた人々のエピソードにスポットをあて、人間の持つ根源的な力について思いをはせるコースです。」

さるく博ガイドさんが被爆者、被爆遺構を見ながら被爆当事の惨状を聞いていると辛くなります。
2006.7.29 長崎さるく博'06「アンゼラスの鐘の丘を訪ねて」 カミサン同行
原爆落下中心地碑→旧松山町防空壕跡→平和公園と平和祈念像→旧長崎刑務所浦上刑務支所遺壁→市立山里小学校(山里国民学校跡)→白山墓地(はくさんぼち)→如己堂(にょこどう)→永井隆記念館→浦上天主堂 鐘楼ドーム→浦上天主堂→被爆マリア像チャペル

さるく博HPより引用「昭和20年8月9日午前11時2分、原子爆弾により一瞬のうちに廃墟となったこの地。あれから61年。美しく整った平和公園の一画には、当時をしのばせる遺構も点在。この地区に特徴的なキリスト教徒の歴史と過酷な運命をたどり、「怒りの広島、祈りの長崎」といわれるゆえんを考えてみませんか。」

平和について考え直す...何故戦争しなくてはいけないのか?
2006.7.17 PM 長崎さるく博'06「絶景!パノラマ360°」 カミサン同行
長崎ロープウェイ淵神社駅→長崎ロープウェイ山頂駅→稲佐山山頂展望台

さるく博HPより引用「平地からロープウェイで約 5分。空と港と山並みと。長崎全体の街の輪郭や位置関係がしっかりわかる昼間もよし。びーどろ色に暮れなずむ夕方もよし。そして宝石を散りばめたようにきらめく夜景がパノラマで広がる夜。すべてを見渡せる稲佐山山頂の展望台は、バルコニー付きの特等席そのもの。」

久しぶりにロープウェイに乗り下を見る、楽しいですね〜。稲佐山山頂展望台から市内を一望し色々な説明を聞く、さるく博・集大成風で今まで廻ってきた所を思い出します。
2006.7.17 AM 長崎さるく博'06「長崎港水辺散策」 カミサン同行
大黒市場・恵美須市場→元船遊歩道→鉄砲ン玉(てっぽうんたま)→ドラゴンプロムナード→長崎港ターミナル〈ビッグビット〉→巨大アンカー→レールと車輪→長崎上海航路と出島岸壁→長崎出島ワーフ→長崎県美術館→明治時代の長崎税関四番波止遺構→長崎水辺の森公園

さるく博HPより引用「1571年、ポルトガル船が来航して以来、港を中心にすべてが始まりました。海の向こうの文化や文明が長崎にどっと流れ込み、さまざまな歴史を刻んだ表舞台。ぐるり三方を山に囲まれた円形劇場のようなこのエリアを、潮風に吹かれながら歩いてみましょう。」

昔は上海航路が通い賑わったとか、長崎市内の平地は殆ど埋立地。少し新しい時代のさるく博でした。
2006.7.16 長崎さるく博'06「長崎は今日も異国だった」 カミサン同行
旧香港上海銀行長崎支店記念館(国指定重要文化財)→大浦市場界隈→グラバースカイロード(斜行エレベーター)→斜面都市の眺め→南山手レストハウス→祈念坂→大浦天主堂(国宝)→マリア園→どんどん坂→南山手地区町並み保存センター

さるく博HPより引用「エキゾティック長崎の代名詞ともいえる、南山手エリア。この周辺には、生活にとけ込んだ昔ながらの居留地の面影が色濃く残り、ドラマティックでいい味を出しています。時おり聞こえる船の汽笛、港から吹き上がる風を堪能しながらひと歩き。流した汗のぶんだけいい眺めが手に入る、歩きがいのあるルートです。」

特別公開されているマリア園、礼拝堂が印象的。門構えやレンガ塀は残るが家は朽ち果てた、いつまでも残しておきたい風景があります。
2006.7.20 長崎さるく博'06「チャイナタウン長崎」 カミサン同行
近代塗装伝来之碑→櫺星門→湊公園→新地の火災を止めたレンガ塀→新地中華街→新地蔵跡→新地蔵所護岸の遺構→銅座跡→わたせ写真館→新地中華街

さるく博HPより引用「春節祭には、ひときわ幻想的な彩りを灯す新地中華街。観光客はもちろん、地元の人も満面笑顔になる人気のスポットは、四方の門を守る守護神も熱烈歓迎!普段は気が付かない敷石や独特の装飾、裏通りなど、長崎と深い関わりをもつ中国文化をたっぷり見チャイナ。」

鎖国時に埋め立てられ積荷を保管する蔵屋敷、新しくできた町なので新地町。唐との貿易が盛んだったので爆竹を鳴らす賑やかなお盆の精霊流し、おくんち等に中国の影響が色濃く出ています。
2006.6.24 長崎さるく博'06「元祖長崎」 カミサン同行
丸川公園(長崎開港先覚者之碑)→万寿庵→ルイス・デ・アルメイダ渡来記念碑→春徳寺→東海の墓→トッポ水→織部神社→桜馬場天満宮(旧・威福寺)→シーボルト通り→山口酢醸造元→長崎玉屋と舞鶴座跡

さるく博HPより引用「城の古址、つまり中世の城(砦)跡が残るくらいだから、長崎というまちが発展するハジメの一歩がこのあたり。草創期の長崎の歴史が息づくこの桜馬場?夫婦川エリアと、門前市のように展開する新大工市場の活気がまぶしい。いろんな「古さ」に出会えるのが逆に新しい、温故知新コースです。」

今の長崎ができ上がる前の町並みを歩きました。1567年にイエズス界の宣教師ルイス・アルメィダがこの地でキリスト教の布教を行ったとのこと。
砂糖が長崎から全国に運ばれる道がシュガーロード、当時の砂糖は高価だったとか。
2006.6.18 PM 長崎さるく博'06「竜馬が見上げた長崎の空」 カミサン同行
上野家墓地(上野彦馬)→坂本龍馬之像→司馬遼太郎「竜馬がゆく」文学碑→亀山焼窯跡→若宮稲荷神社 (伊良林稲荷神社)→良林亭跡→亀山社中跡→龍馬通り→木下家墓地(木下逸雲)→光永寺「福澤諭吉ゆかりの寺

さるく博HPより引用「長崎港を一望できる風頭山には、幕末・維新の動乱期に、志高く歴史を動かした坂本龍馬の銅像が威風堂々と立っています。変革の時を駆け抜けた風雲児・坂本龍馬、後藤象二郎など多くの群雄達が、大いなる夢と希望を抱いて闊歩した町並みをあなたも志士の気分で颯爽とさるいてみませんか。」

左が長崎・風頭公園、右が高知・桂浜の竜馬像、しっかりとブーツを履いていました。
2006.6.18 AM 長崎さるく博'06「浜ぶらコース」 カミサン同行
鉄橋→土佐商会跡→浜の町アーケード→二枝べっ甲美術店→リカちゃん通り→本古川町 稲荷神社→ベルナード観光通り→六芒星のマンホール→吉宗(よっそう)→長崎大丸→竹谷健寿堂→長崎浜屋→唐子地蔵→常岡(つねおか)歯科診療所→大浦慶居宅跡→長崎大水害記念塔

さるく博HPより引用「長崎一の繁華街。長崎人が「まち」といえば「浜んまち」のこと。ここらへんをそぞろ歩くのは、「さるく」というより昔から「浜ぶら」が通称でした。堂々たる風格の老舗やきらびやかなショップの隣に小さな祠があったりして、歴史の片鱗をのぞかせる。アーケードと路地をじぐざぐ歩けば新しい発見が!」

何気なく歩く繁華街ですが、話を聞くと沢山の歴史が詰まっていた。
2006.6.4 長崎さるく博'06「文人墨客も思案した? 丸山巡遊」 カミサン同行、4,200歩
見返り柳と思切橋→山之口 (やまんくち)・大門(二重門)跡→史跡料亭 花月(県指定史跡)→長崎検番→梅園身代り天満宮→中の茶屋→思案橋跡

さるく博HPより引用「かつて江戸の吉原、京の島原と並ぶ、日本三大花街のひとつだった長崎の丸山。名曲「ぶらぶら節」を口ずさみながら、ぶらりぶらぶら細い路地、古い石畳を歩いてみましょう。どこからともなく流れてくる三味線の音を聞きながら、小粋なまち歩きを楽しんでみませんか?」

今回は料亭、茶屋、天満宮等と日本情緒を漂わせるルートです。さるく博イベント帰りのおいらんと遭遇、ラッキ〜! 風情溢れるルートでした。
2006.5.7 長崎さるく博'06「憧れの上海航路・大浦バンド 〜外国人居留地通り」 カミサン同行、4,000歩
運上所跡 (現市民病院)→我が国鉄道発祥の地→我が国最初の気球飛揚の地→旧長崎英国領事館(国指定重要文化財)野口彌太郎記念美術館→オランダ通り界隈→杉田商店→国際電信発祥の地→須加五々道美術館→宝製綱→旧長崎税関下り松派出所(長崎市べっ甲工芸館)→長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館(国指定重要文化財)

さるく博HPより引用「居留地時代、各国の商社や領事館、様々な種類の洋館が建ち並んだ大浦海岸通りは“大浦バンド”と呼ばれた賑やかな場所で、日本初の蒸気機関車や国際通信など数多くの事始めが生まれました。明治時代の貴重な洋館を活用した美術館や展示室等を観覧できる満足度満点のお得なコースです。」

鉄道発祥の地、気球飛場の地と日本初もあります。何気なく見過ごす洋館ですが歴史があり驚きの連続でした、大切に保存しないといけません。
2006.4.30 長崎さるく博'06「真ん中歩いても橋さるく?〜中島川石橋めぐり〜」 カミサン同行、6,000歩位?
苧原橋(すすきはらばし)一覧橋(いちらんばし)古町橋(ふるまちばし)編笠橋(あみがさばし)大井手橋(おおいでばし)高麗橋(こうらいばし)阿弥陀橋(あみだばし)桃溪橋(ももたにばし)浄土真宗 向陽山光永寺(こうえいじ)東新橋(ひがししんばし)魚市橋(うおいちばし)眼鏡橋(めがねばし) (国指定重要文化財)袋橋(ふくろばし)常磐橋(ときわばし)

長崎さるく博HPから引用すると「中島川の石橋群は、人々の生活を支え、江戸と長崎を結ぶ文化の架け橋でもあり、寺町の各寺へと続く門前橋でもありました。石工たちの心意気を感じさせる眼鏡橋の見事なアーチを始め、度重なる洪水にも耐えてきた石橋を端々まで見てさるきましょう。」

お寺の参道として作られた石橋群。私財で架けた橋ですが当時の長崎の反映がしのばれます。
2006.4.23 長崎さるく博'06「重文縁起よか界隈」 カミサン同行、7,000歩
興福寺−延命寺−長照寺−晧台寺−大音寺−大光寺−崇福寺
長崎さるく博HPから引用すると「永井荷風が、パリの路地と並べて「世界でただ二つの愛すべき道筋」と称賛した寺町通りの静寂。あの坂本龍馬も革靴と袴で通った愛すべき界隈。国宝級から市指定まで、重要文化財を山ほど秘めた寺々は、昔も今も見ごたえ十分、縁起よかよか。」

ランタンフェスタで良く歩く寺町界隈です。間口は狭く感じるお寺ですが中に入ると奥に広がって立派な庭や建物が広がります。ガイドさんの説明を受け唐との繋がりが分かりました。
2006.4.23 長崎さるく博'06「ハイカラさんが往来しよらす・東山手洋館群とオランダ坂」 カミサン同行、7,000歩
オランダ坂−東山手十二番館−活水学院−鎮西学院碑−海星学園−英国聖公会会堂碑−東山手洋風住宅群(7棟)−孔子廟
長崎さるく博HPから引用すると「開国に伴い造成された外国人居留地のなかで最初に許可された東山手。領事館、教会、ミッションスクールなどが建ち並ぶ官庁街と文教区が混然一帯となった丘には、長崎の歴史を今に語り継ぐ史跡が色濃く残されています。」

知っているようで知らない地元の情報、ガイドさんの説明を聞きながら”へ〜”の連続。当時の波打った窓ガラスが残っている建物もありました。
2006.2.18 松の森神社(長崎市) 10,000歩位

蝋梅を見てきました。蝋梅は江戸時代中期に日本に入ってきた、蝋細工に似ているので蝋梅と名が付いたとか。
しだれ梅、白梅に紅梅、桃や椿と綺麗で境内に花の香が漂います。
春近し...

帰りは自宅まで歩き。
2006.2.5 2006長崎ランタンフェスティバル 16,000歩 カミサン同行

今年も全会場を見て回りました。印象深いのは国宝の興福寺、良く手入れされた庭や建物、ライトアップもお洒落です。アツアツの黒ゴマアンの饅頭を買って食べ、振舞い酒を頂きました。 今年から中島川沿いにもランタンが飾られていました。めがね橋もライトアップされ、川面にめがね橋とランタンが映ります。
2006.1.3 伊王島 20,000歩 カミサン同行

伊王島は長崎港から船で20分位で到着しますが、島一周11km位とウォーキングには程好い距離です。
伊王島ターミナルから俊寛僧都の墓−円通寺−大明寺協会を経て伊王島灯台に到着。遠くには上五島の島影が見えます。次に千畳敷と呼ばれる海岸へ向かいます、初めて歩くコースなので興味津々。

伊王島を一周した後は橋で繋がった沖ノ島一周です。宮崎の鬼の洗濯岩に似た畔の岩這を通り沖ノ島天主堂に到着。運良くシスターにお会いし天主堂内に入ることができました、シンプルで小さな協会ですが天井や柱、ステンドグラスが綺麗でした。島一周の後は島の温泉で汗を流しました。

島内の歩数20,000歩、その他6,000歩。合計26,000歩と良く歩きました。


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2006.1.4 create t.shiroyama