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コンクリートの地盤が崩壊してなくなり、地盤の下(地下)に隠れていた昔の護岸(天川の護岸)が顔を出しています。 |
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学校方面を望みます。貯炭場跡はかなりの広場です。 |
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学校のアップです。 |
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天井の屋根が折れ曲がり、裂けています。 |
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65号棟屋上には保育所・保育園の姿も見えています。また、写真右下には、天井の屋根が折れ曲がった学校の姿も見えています。 |
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正面の建物は学校ですが、7階65号棟側の屋根も折れています。また、学校と65号棟の間ですが、避難通路だった連絡橋のほんの一部が残っています。 |
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3号棟の屋上ですが、野母崎半島側の手すりは全壊です。 |
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本当に高くまで擁壁を造ったものだと思います。 |
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山の上の貯水槽 |
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30号棟 |
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二坑口桟橋の下にあった設備だと思います。 |
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確証はありませんが、選炭機や原炭ポケットがあった場所でしょうか。 |
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正面の設備は、逆三角形の形をしています。 |
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二坑口桟橋は、かなりの高さがあったように思えます。 |
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二坑口桟橋への昇降階段ですが、非常に危ない状態ではないでしょうか。何時、崩れ落ちてもおかしくないように思えます。 なお、いつもお世話になっている島の先輩からは、「最近、この階段のことが「命の階段」と呼ばれるようになっているが、炭鉱で働いている時にはそのようなことはなかった。」とのお話を伺っています。 |
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間違っていなければ赤レンガの壁は、明治からあることになります。 |
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白い建物の手前には護岸が転がっていますが、護岸の中は天川による護岸のようですが、その表面をコンクリートで覆っているようです。 |
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遠くに二坑口桟橋への昇降階段が見えています。 |
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写真左側にある四角い穴の部分を、下段の写真にて拡大してみました。 |
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穴の左側には蝶番のような物が見えます。昔、この穴は扉で隠されていたのでしょうか。ちなみに、穴の上部には綺麗な穴が開いているようです。 |
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