<村里 榮 氏撮影> 正式名称や通称が不明ですので「硬荷揚用クレーン」の名称を用い、「硬荷揚用クレーン」はドルフィン桟橋付近にもありましたので「その1」としています。
写真に写るクレーンでは坑内で使用する硬を荷揚げしていましたが、硬は小山のように積み上げられ、島外からでも見ることができました。なお、写真をいただいた際には撮影時期も伺ったと思いますが、残念ながら記録してなく撮影時期は不明ですが、昭和40年代の
三ツ瀬区域では「端島水洗硬,二子水洗硬,端島掘進硬」を充填材料 としていましたので、写真に写る硬は高島の二子水洗硬の可能性もあるかと思います?。
ちなみに、写真に写る固定式のクレーンは閉山まで使用されることはなく、最後の頃はキャタピラがある自走式?の「硬荷揚用クレーン」に取り替えられました。