○山道
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<出典:「寫眞週報」178号(昭和16年7月23日発行)>
写真上部ですが、岩盤上の右側の建物は6号棟で、左側の構造物は貯水槽ではないかと思います。島の先輩のよりますと、貯水槽右端の貯水槽よりも高い小さな部屋は、戦時中は「監視所」と呼ばれていたそうで、米軍飛行機の来襲を監視していたそうです。
なお、岩礁の中腹には道が見えていて左側に行った先には30号がありますが、<『主婦之友』、昭和11年10月号>には30号棟から6号棟付近までの部分は既にできていると思われる記載があります。
<2009年5月撮影> 写真の左の方に行けば30号棟、右側に行けば報国寮ビル(65号棟)です。また、6号棟付近への分かれ道も見えております。
<2009年5月撮影> 写真右端の建物が報国寮ビル(65号棟)です。
<2008年10月撮影> 写真中央部分ですが、山道の道路基礎部分が大きく崩壊しております。
<2016年撮影> 山道と言っていいのかは分かりませんが、30号棟と65号棟を結ぶ山道から途中分岐して、6号棟付近に抜ける階段部分の光景です。
<2016年撮影> 左端写真の拡大です。階段を上り詰めた付近には、閉山の頃に使用していた階段とは別に、「昔の階段」(旧道?)の痕跡が残っていて、子どもの頃から不思議に思っていました。
島の先輩によりますと、昭和23年9月1日より10月初旬にかけて松竹映画「緑なき島」の長期ロケが端島で行われたそうですが、その時の記念写真と思われる写真のバックには、閉山の頃に使用していた階段はなく、「昔の階段」しかないようです。いつ頃、「昔の階段」から閉山の頃に使用していた階段に切り替えが行われたかは不明ですが、村道完成の時期が候補の一つの時期と考えています。