○炭車製造

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

写真<出典:「石炭時報 第九巻第五號 (石炭鑛業聯合會・昭和9年5月発行)」(大牟田市石炭産業科学館蔵)>
 「三菱重工業株式会社長崎造船所」の炭車広告です。広告や以下の情報には端島の記載はありませんが、高島の記載が出ていることからこちらに掲載しています。広告にある二種類の炭車と閉山の頃の端島の炭車とを見比べると、あくまでも私の感想ですが、上段の炭車の方が端島の炭車に近いのではないかと思いました。

 また、<長船150年史編纂委員会、『創業150周年記念 長船よもやま話』、三菱重工業株式会社長崎造船所、平成19年、頁数154・155>には、炭車製造に関し以下の記載があります。
昭和5年に、鉄工場から出る大量の鉄残材の再利用にあたり、立神造船工作部の鉄工場の一部を作業場として、鋼製炭車の製作をはじめたこと。
溶接技術の向上により残材鋼小片をつなぎ合わせ、頑丈な鉄製炭車をしかも比較的安価に製作することができたこと。
試作品を三菱高島鉱業所で試してみたところ、好評で610台の受注があり、その後、九州、本州等販路を拡大していったこと。
終戦直前の一年を除いて、昭和32年まで毎年受注があり、製作総計は5万3千台を超え、機種も32種類を数えたこと。
造船の本業が忙しくなってからは、炭車製作は三菱下関造船所へと引き継がれたこと。
資源を無駄にしないという精神から「鋼製炭車」は生まれたが、当時の資料には「手すき工員に仕事を与える必要があった」とあり、不況期の人材の有効利用も考えられていたこと。


ちなみに、以下の関連情報もあります。
「三菱鉱業において鉄製炭車が本格的に使用されたのは昭和6年高島においてであり、当時、極度の不況に苦しんでいた長崎造船所にこれを製作させた。」
  以上、<三菱鉱業セメント(株)総務部社史編纂室、『三菱鉱業社史』、三菱鉱業セメント(株)、昭和51年、736頁>より
大正3年のこととして「鉄製炭車の導入とそれに伴うレールゲージの変更(20吋から24吋に切替)があった。」
  以上、<三菱鉱業セメント(株)高島炭砿史編纂委員会、『高島炭砿史』、三菱鉱業セメント(株)、1989年、264・265頁>より
昭和5年2月のこととして「木製炭車は消耗度並びに災害率が高く,昭和4年10月 長崎造船所で鉄製炭車が試作され,試験的に使用の結果好成績で,本格的に10台を購入し使用する。」
  以上、<『高島町の歴史年表』、高島町教育委員会、平成15年3月31日、40頁>より  一部字句を変更しています
昭和20年代最後の頃の「三菱長崎造船所」案内パンフレットと思われる資料において、工場配置図には「炭車工場」が記載され、製作品のページには「鋼製標準型炭車」の写真掲載があります。


 

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