平成23年6月4日。 職場の韓国の人たちに誘われて、佐賀県唐津市の加唐島へ行くことになった。 この日、加唐島では百済武寧王生誕祭が行われる。 出航時間に合わせて、朝5時30分に熊本を出発。 途中、佐賀県唐津市相知町にある「見返りの滝」へ寄った。 |
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以前、佐世保市で生活していた時は、よくこの滝を見に行っていた。 何年振りだろうか・・・ |
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日本でも有数の滝に、韓国の人たちも大喜び。 楽しんでもらって、良かった。。。 |
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紫陽花祭りが始まっていたが、さすがに朝8時頃は誰もいない。 お陰で、近くの駐車場に停めて、ゆっくり見ることが出来た。 |
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滝にかかる吊り橋。 ここの吊り橋は、しっかりしているので、全く怖くない。 |
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名護屋城の近くにある名護屋漁港。 ここが生誕祭の集合場所。 朝早くから、たくさんの人が集まっている。 |
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この船で行くのかなと思ったら、廃棄物を集める船だった・・・ 出航時間が近づいてくると、さらに人が集まってきた。 韓国公州市の市長さんを始めとした関係者から、韓国ブームに乗った日本人たち。 中高年が中心だ。 |
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我々は、韓国の人たちと一緒に、この船に乗った。 普段は、定期船として使われているようだ。 ある程度、大きな船で安心した。 船に乗って島へ行くのは、ホント久しぶり。 |
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いよいよ出発。 加唐島への定期船は、呼子から出ているらしい。 今日は、特別のようだ。 |
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船は、意外と速い。 |
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この船に乗れなかった人たちが乗った船が、後ろから追いかけてきている。 漁船みたいに小さい船なので、木の葉のように揺れている。 こっちの大きな船に乗って良かった・・・ |
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呼子大橋。 まだ梅雨には入っていないが、晴天で良かった。 今日は、最高の天気だ。 |
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名護屋城跡を遠くに見ながら、船は外洋へ。 だんだん揺れてきた。 |
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後ろから来ていた船が、我々の船を追い越した。 |
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20分ほどすると、加唐島が見えてきた。 韓国の人たちも写真を撮ろうと必死。 |
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加唐島の集落。 ビルも建っていて、意外と人が住んでいるようだ。 |
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船は港に入らず、武寧王が生まれたという洞窟の前へ。 |
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この注連縄がかかったところが、武寧王が生まれた洞窟とのこと。 何となく神秘的だ。 |
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武寧王の洞窟より西側を見ると、断崖絶壁があった。 島ならではの風景だ。 |
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洞窟の前方にある離島。 誰も住んでいないようだ。 |
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いよいよ入港。 |
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ここには、200人ほどが住んでいるとのこと。 |
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加唐島へ来られたことを歓迎します、という韓国語の表記があった。 |
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港には、地元の子供たちが「ようこそ加唐島へ」という横断幕を持って待っていた。 |
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船内の様子。 これから、いよいよ上陸。 |
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船内にあった武寧王生誕祭のポスター。 初めて見た。 熊本県内で見ることは、まずないだろう。 今年で10周年なのだろうか・・・ |
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韓国からMBCが来ていた。 MBCといえば、「大長今」などのドラマを放映した放送局だ。 |
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桟橋を渡って、ようやく上陸。 たくさんの人で賑わっている。 |
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昼食のバーベキュー会場。 |
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地元の人たちが、名産の椿油で天ぷらを作っていた。 一皿100円、美味しかった。 |
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地元の人たちは、島外からの人たちの受け入れに慣れている様子。 島にありがちな、無愛想な雰囲気は一切なし。 |
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丘の上で式典の準備をしている。 早速、行ってみよう・・・ |
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丘の上から見下ろすと、こんな感じ。 今日は、いろんなイベントが盛りだくさんのようだ。 |
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武寧王の記念碑。 |
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いかにも県議って感じの挨拶。 |
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神主による祝詞。 武寧王が結ぶ日韓の交流、大変素晴らしい。 |
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記念碑の近くにある説明板。 |
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式典が長かったので、下りてきた。 港付近では、写真展をやっていた。 |
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式典が長い・・・ 日本語の後に、韓国語が聞こえてくる。 一言一言通訳をしないといけないから、時間が倍かかる・・・ |
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式典の後は、公州の大学生による伝統舞踊の披露。 |
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韓服の色が綺麗。 この学生さんたちは、行き帰りの船で一緒だった。 若くて、ぴちぴち。 |
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みんな興味津々の様子で見ていた。 これだけ綺麗な踊りだったら、当然だろう。 |
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中でも、この子がお気に入り。 笑顔がホント可愛い。 |
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動きも優雅。 やっぱり可愛い子は、何をしても可愛い。 |
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先生の登場。 太鼓を使った舞踊を披露。 |
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先生だけあって、動きがきびきびしていた。 貫録十分。 |
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学生さんがまたまた登場。 今度は、太鼓を持ってきた。 やはり、この子は可愛い♪ |
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この後、地元の子による踊りや太鼓の披露があった。 おもてなしたっぷり。 日本人も韓国人も関係なく楽しんでいた。 素晴らしいこと。 昼食のバーベキューは、イカやアジなどの海産物がたっぷり。 また、イカレースをやっていて、参加するとイカの刺身をゲットできる。 お腹いっぱいになった。 |
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出航まで時間があるので、歩いて武寧王の洞窟へ行くことにした。 ここが入口。 台風の風よけのためにビニールシートを張っているとのこと。 |
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海岸下まで道が整備されている。 |
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離島だけあって、海が綺麗だ。 こんな海を見たのは、久しぶり。 |
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やはり、島は良い。 綺麗だ・・・ |
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高野槇。 この木は、日本にしか自生していないとのこと。 武寧王の棺に、この高野槇が使用されていたそうだ。 そのことからも武寧王と日本との間に、何らかの関係があったことが分かる。 |
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武寧王が産湯として使った井戸。 本当だろうか・・・?? |
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この階段を下りていくと、洞窟がある。 |
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武寧王生誕の地である帯屋洞窟。 |
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武寧王は、西暦501年から523年の22年間百済の王として君臨した。 高句麗に都の漢城を奪われて以来、失われていた百済の勢力を回復させた。 |
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島で生まれたので、斯麻王(しまおう)と名づけられたとのこと。 何か良く出来すぎているような話だが・・・ |
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ここにもMBCが撮影に来ていた。 どんな風に放送されるのか、見てみたいものだ・・・ |
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武寧王の墓は、公州市にある宋山里古墳群。 公州市には行ったことがあるが、暑さのため古墳群には寄らなかった。 考えてみると、実にもったいない。 |
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時間が余ったので、島内の集落を散策することに。 ここは、小中学校。 壁に校歌?が書かれている。 |
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山に沿って、家が建ち並んでいる。 島ならではの風景。 |
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家があるのは、この集落だけのようだ。 釣り客用の民宿があった。 祭り会場では、島の若手数人がKARAの踊りなどを披露していた。 伝統舞踊を踊っていた学生や地元の人も加わり、大変盛り上がっていた。 今回の祭りは、誘われるまで知らなかったが、来てみて良かった。 大変、素晴らしいお祭りであった。 帰りの船では、公州大学の名誉教授と話をした。 日本語がペラペラであった。 国境など、話してみれば関係ない。 どこどこの国の人だから、こうだ、と決めつけることは、ナンセンス。 どこの国の人だろうが、良い人は良いし、悪い人は悪い。 改めて、韓国語を頑張ろうという意欲が出てきた。 |
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今日は、長崎市に泊まる予定だが、時間があったので名護屋城に行くことにした。 ここは、日韓交流をテーマに展示をしている博物館があるので、韓国の人たちを連れて行きたかった。 百済、三別抄、加藤清正、豊臣秀吉、伊藤博文、安重根、大院君、明成皇后、金玉均・・・ ここでは、いろいろなことを説明し、そして、話を聞いた。 過去の歴史を知ることは大事だが、そのために今を生きる人たちが仲悪くなるのは、意味がないこと。 歴史は歴史、国の立場が違えば、解釈も違う。 自分なりの理解をしておれば良いということ。 押し付ける必要もなければ、鵜呑みにする必要もない。 |
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名護屋城に訪れる韓国の人は、どんなことを思うのだろう・・・ 原爆資料館を見に来るアメリカ人とは、立場が違う。 被爆者がテニアンを訪問するようなものだろうか・・・ いろいろ考えるところもあったが、そんな深刻に考えることではないようだ。 過去のことは、過去のこと。 |
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名護屋城の本丸跡へ向かう。 |
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名護屋城跡。 |
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ここからの景色は、素晴らしい。 |
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ここがまさに朝鮮出兵の基地である。 豊臣秀吉や徳川家康、伊達正宗など、全国の戦国大名が集結した歴史の地。 たった数年だけ、大いに賑わった幻の都市だ。 |
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一緒に旅した韓国の人たちは、ここに来たことを大変喜んでいた。 朝に寄った「見返りの滝」も含めて、ガイドブックには載っていなかったとのこと。 韓国の人たちは、どういう場所に連れて行けば喜んでくれるのだろうか。 今回行っていないが、唐津のくんちの曳山展示場だったら、どういう反応だっただろうか。 いずれにしても、喜んでもらえて大変良かった。 |
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うっすらと玄海原子力発電所が見える。 3月11日に発生した東日本大震災、それに伴う福島第一原子力発電所の事故は、世界的な関心事。 原子力がある玄海町は、気が気でなかろう。 のんびりと観光をしている、このひとときも危険と隣り合わせということか・・・ この日の夜は、長崎市稲佐山からの夜景を楽しんだ。 次の日は、原爆資料館を見学し、原爆落下中心公園、平和公園を散策した後、小浜温泉へ。 その後、雲仙を散策し、帰路についた。 韓国の人たちが、何を喜ぶのか少し分かったような気がする。 今後の仕事に役に立つことだろう・・・ また、こういう機会を持ちたいものだ。。。 |