平成22年1月30日。 最近、島に行っていないことに気付き、どこか探してみた。 すると、大村湾に浮かぶ島を発見。 早速、行ってみることにした。 その前に、大村平和仏舎利塔へ。 大村市の三浦半島の山の上に建っている。 いろんなお願いがあるので、仏舎利塔を一周して、お参りをした。 観光振興の仕事をしたいな〜 神にも仏にもすがりたい気持ち。 |
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ここからは、大村市を一望できる。 今回の目的地は、左に見える小さな島。 インターネットで地図を見ていて、発見した。 いま住んでいる場所からは、おそらく一番近い島ではなかろうか。 橋などでつながっている島は、自分の中で対象外としていたが、しばらく行く予定もないので、その原則は廃止した。 橋が架かっていても島には変わりない。 さて、どんな島だろうか。 |
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国道34号を大村市中心部へ行く途中で、左折。 やがて、東浦漁港が見えてきた。 典型的な漁村の風景が広がる。 かつて住んでいた五島を思い出した。 しばらくすると鳥居が見えてきた。 ここが今回の目的である寺島のようだ。 太鼓橋と堤防で、島は陸続きになっている。 |
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太鼓橋を渡ると、鳥居が現れる。 市杵嶋神社という額が掛かっている。 |
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寺島が見えてきた。 何かありそうな雰囲気する。 歴史好きは、こういうところに来ると、つい微笑んでしまう。 |
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いよいよ上陸。 島全体が神社になっているようだ。 |
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大村湾県立公園 寺島とある。 |
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階段を上がって、島の中心部へ向かう。 |
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参道が続いている。 さて、何があるのだろうか。 |
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島には、我々以外は誰もいない様子。 |
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ようやく神社が見えてきた。 |
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大正十年九月の皇太子殿下御渡欧記念樹とある。 前舟津郷が建てた昭和天皇が皇太子時代にヨーロッパに行かれた際の記念樹の碑だ。 そのままの説明であるが・・・ |
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市杵嶋神社。 説明板によると、 994年に、この寺島に藤原直澄が上陸した。 この藤原直澄が大村氏の始祖と言われている。 藤原直澄は、平安時代に反乱を起こした藤原純友の孫である。 とのこと。 大村氏の始祖が藤原純友の子孫で、どこかの島に上陸したことは知っていたが、この寺島だったとは・・・ 来て良かった。 これは、歴史の神様が招いたに違いない。 |
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また、この島には弁財天が祀られていたが、明治3年に廃されて、市杵嶋神社が祀られることになったそうだ。 子供の守護神とされている。 |
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また、寺島には、かつて、鯨で財を築いた深沢儀太夫の寄進となる妙音寺が創建された。 1694年に久原郷多々良に移転されたそうだ。 |
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寺島から本土方面を見る。 堤防があるためか、ゴミがたくさん漂着している。 |
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藤原直澄が、船のともづなをつないだ「夫婦石」を探すために、島を一周することにした。 |
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途中振り返って、本土側を見る。 結局、夫婦石は、どこにあるのか分からなかった。 |
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島から長崎空港方面を望む。 曇っていて、見通しが良くない。 残念。 |
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島は小さいので、五分ほどで一周することが出来る。 ※平成22年8月1日追加 人気の大河ドラマ「龍馬伝」で、この寺島がロケ地となりました。坂本龍馬と勝海舟が、伝馬船で幕府軍艦咸臨丸に乗船するシーンが撮影されたそうです。 |
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大村城の櫓が見える。 御船蔵などの貴重な遺構が残る大村城。 菖蒲祭りで見るだけでは、なかなか分かりづらいが、海に面したお城なのである。 |
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東浦漁港の周辺は典型的な漁村であったが、この辺はお洒落な住宅団地といった感じ。 静かで良い場所だ。 |
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寺島の全景。 藤原直澄は、地名を大村と改めたという。 しかし、いろいろと調べてみると、藤原直澄という人物は、藤原氏の家系図で確認が出来ておらず、伝承には疑問が残るそうだ。 大村氏の先祖は、佐賀県鹿島市の大村方を本拠地とした豪族だという説が有力であるとのこと。 しかし、この景勝地は伝承と共に後世に残してもらいたいものだ。 |
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近くの公民館に、箕島資料館が併設されていた。 実は、この資料館の存在も地図で確認していたのだが、残念なことに閉まっていた。 箕島は、現在の長崎空港がある島。 かつては、有人島であった。 おそらく、その当時の生活風景などを展示した資料館なのであろう。 今度、ぜひ問い合わせて見せてもらおうと思う。 橋でつながっていても、やはり、島は良い。 今後も初心を忘れず、いろんな島を訪れたいと思う。 たまには、普段行かない脇道に入ってみよう。 新しい発見が、日常の生活を豊かにしてくれるでしょう。 お奨めします。 |