2004年3月撮影
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右が65号棟、左が小中学校です。写真中央上部の両建物の間に連絡通路が見えますが、私が小中学校に通っていた頃(昭和40年代)には日常的な通路ではなく、非常時の避難通路として設けられていました。また、島の先輩の方からも日常的には使用されていなかったことを聞いていますので、この連絡通路は設置時から緊急時のために設けられていたように思います。 ちなみに、護岸のすぐ上の右側部分には「ちどり荘」が見えています。
ちどり荘の右手後ろは病院です。 | |
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昔、学校海岸の高島方向には、ボタによるボタ浜があり、テトラポットが大量に設置されていましたが、今では、僅かしか残っていません。。 |
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65号棟です。
<以下、阿久井喜孝 他 編著『軍艦島実測調査資料集』東京電機大学出版局(1984)p.654より> 65号棟の病院側には階段室に向かい合った位置にエレベータシャフトが組み込まれており、屋上には機械室用のペントハウスが立ち上がっている。しかし、戦時中の建設で器材が入らなかったためか、シャフトはエレベータが設置されないまま、木製の床が張られ、隣接の張り出しベランダとともに改造されて住居として使用されていた。 |
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端島小中学校です。
写真右は端島小中学校です。 |
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赤い建物は第四立坑の巻座上屋でしょうか。
第四立坑、積込桟橋付近。赤い建物の左にあるのは扇風機圧気室?でしょうか。 |
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写真左上は、何とお風呂・電話が付いていた3号棟です。エリートの方が住むアパートでした。
端島を離れます。 |
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