二坑周辺

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

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《昭和24年松竹映画 緑なき島ロケ風景 総務課の前》  <写真は島の先輩より>
 原則、事業所内は従業員以外立入禁止でした。また、この場所、山道等から見ることはできなかったと思いますので、今となっては写真でしか知ることができません。確か、右端の建物が旧三坑捲座(その後、倉庫等に転用)の建物になるのではないでしょうか?。


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<写真は、祖父・父が端島に住んでおられた方より>
 この写真、祖父の写真ではないかとのことで、かなり昔の写真と思います。私にとって、バックに写る建物は見覚えがなく、どこの建物かと悩んでおりました。
 後日、左写真の丸い庇の形を見て、窓の違い等はありますが、もしかしたら総務課があった建物ではないかと思いました。さて、真実は如何なものでしょうか?。




写真<2009年撮影>
 右端の旧三坑捲座建物は、赤い煉瓦の壁が一面しか残っておらず、時の経過を感じます。また、煉瓦の壁の左側には、階段がありますが、この付近が、前出2枚の写真の場所だと思いますが如何でしょうか?。でも、こちらの写真では、丸い庇が見受けられないので、自信がないところです。



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<写真は島の先輩より>

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<長崎県立長崎図書館所蔵の『高島町端島(軍艦島)昭和49年』から許可を頂き掲載>
 上段写真にある赤い煉瓦の壁の閉山時の頃の姿です。閉山時の頃は、資材課倉庫として使用されておりましたが、元々は、第三竪坑捲座の上屋として使用され、かなりの歴史がある建物です。なお、この建物の左側建物が坑務課入浴場となります。


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<写真は島の先輩より>
 閉山の頃の様子です。

写真<写真は島の先輩より>
 左写真の場所より、少し、右側に移動しての光景です。


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<写真は島の先輩より>
 上段右側写真の場所より、更に、少し右側に移動した場所です。右端には二坑口桟橋が見えており、二坑口桟橋に上り下りする階段通路も見えています。


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<写真は島の先輩より>
 海底水道取込口周辺の光景です 。

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<写真は島の先輩より>
 左写真の左半分の拡大図となります。


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<写真は島の先輩より>
 昭和30年代初め頃の撮影かと思います。
 30号棟から、閉山間際には坑木置き場だった場所等を望む光景です。また、上2枚の写真の反対側からの光景となります。
 写真左下の建物が事務所で、その右隣の建物は電気営繕工場等の建物で、その手前が第二竪坑捲座の建物と思います。
 工場等の屋上では、多くの方々が荒波見物?をなされているようですが、写真をよく見ますと、工場等の建物の先には、坑木を積み重ねた山が見えており、その山の左側では、坑木の山が、波に洗い流されたでしょうか、坑木が散乱しているようです。


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<写真は島の先輩より>
 ドルフィン桟橋からのトンネルを出て、山道に向かう坂道の光景かと思います。砿業所入口の建物が見えています。

写真<写真は島の先輩より>
 写真右側に位置する30号棟前の砿業所入口を入ってすぐの様子を第二竪坑櫓の方から撮影した光景かと思います。


写真<村里 榮 氏撮影>
 左写真は、安全灯室で充電中のキャップランプの姿です。上から、3桁の番号、メーター、ランプ、蓄電池と並んでいます。


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