《衆議院選挙 S.47.12》 <写真は島の先輩より> 写真右側の「投票所入口」の表示がある建物が公民館で、写真左側の建物が21号棟となります。また、両者の建物の間から、22号棟の姿が見えています。
<『炭の光』、第164号、昭和38年11月30日>ではタイトルが「来年3月に完成 端島公民館 地鎮祭終り建設へ」の記事があり、記事には「地鎮祭が、さる十一月十八日の午後一時半から、昭和館裏の建設予定地で行われた。島民の待望するだけに、その規模もりっぱなもので、立坪は一八九・八平方メートル(四十五坪)総工費千六百八十四万六千円をかける鉄筋コンクリート三階建て、完成予定は来年三月。一階には、小会議室、談話室、医務室。二階は学級講座室、図書室、資料室。三階は大会議室」の記載もあります。
なお、私には、入口を入った右側にあった受付の奥に設けられた図書室で「のらくろ」を読んでいた記憶が残っていますので、記憶に間違いがなければ完成時点では若干の部屋割り変更があったようです。あと、3階の大広間の記憶はありますが、残念ながら2階の記憶はありません。
ちなみに、公民館では各種行事等が行われていて、こちらの
倶楽部・サークル(学校以外)のいくつかは公民館を利用していたのではないかと思います。
また、<町村を廃し町を設置することについての申請書 (関係町村 西彼杵郡高島町、西彼杵郡高浜村)(昭和三十年二月十日)>には、端島公民館として、施設坪数160、利用面積160坪、収容人員960、利用人員(年)36,500の記載がありますので、昭和39年に公民館として建設された39号棟の前にも、公民館は存在したようです。