倶楽部・サークル(学校以外)

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

 学校のクラブ活動以外にも、大人や大人と子どものための倶楽部・サークルがありました。
 子どもの頃、学校グランドにてナイター設備を利用した、大人の野球部の練習風景を65号棟の上の方から見た覚えがあります。剣道部については写真で見たことがありますし、バレー部、百人一首については先輩より話を聞いたことがあります。また、ボーイスカウトの活動なども盛んに行われていたようでした。
 ちなみに子供会ついては<『炭の光』、第91号、昭和32年8月8日>に、タイトルが「モデル子供会 端島に誕生」の記事があり、記事の中には「去る八月五日、端島保育園に於て第六分団子供会の晴れの結成式が多数の関係者が列席して盛大に挙行された。これは端島における子供会の最初のもので六十五号社宅(報国寮)関係の小・中学生百三十八名が会員」の記載があります。あくまでも私の想像ですが、ここに記載の「第六分団」が後日の「六地区」になるのではないでしょうか?。
 何せ、閉山前の僅かな期間に、端島に住んでいただけで、いろんな情報を持ち合わせておりませんので、島の先輩方等におかれては、いろいろとお教えいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。


写真
《コーラス部の練習風景》  <写真は島の先輩より>
 私が通っていた頃の端島小中学校には、コーラス部はなかったと思います。写真を見ますと、椅子に座っているのは子どもではなく大人のようにも見えますので、もしかしたら大人のコーラス部の練習風景でしょうか?。そう言えば、《s31労組結成10周年慰安演芸会 コーラス部の組合歌発表》の写真があります。

写真<写真は、祖父・父が端島に住んでおられた方より>
 左写真の部屋と同じ部屋のようで、かなり広く、天井も高いようです。
 この写真のタイトルには、30年1月と研究授業の文字が含まれていましたので、この写真と左写真の部屋は先代校舎の光景ではないかと思います。


写真
《絵画サークル》  <出典: 主婦の友・3月号((株)主婦の友社・昭和31年3月1日発行)>
 写真の説明には、「島に盛んな文化活動の一つで、東光展入選のヴェテランもいる。サークルは他に、コーラス、短歌、俳句、碁、将棋、写真、生花、和洋裁、料理」等の記載がありました。

写真<出典:アサヒグラフ 1948 8月25日号(朝日新聞社東京本社・昭和23年発行)>
 写真の説明として、「洋裁熱はこの島でも盛 労働組合事務所の二階は若い女性で賑わう」の旨が記載されています。


写真 <『炭の光』、昭和30年>には、「端島ボーイスカウトの紹介」の記事があり、「島内行事の熱心な協力、モデル衛生の協力班としての活躍、中の島公園の手入、植樹、遠く長崎市のオクンチ祭の交通整理等」との活動内容と組織については左記のとおりであることが書かれています。
 なお、端島におけるボーイスカウトの始まりですが、<『炭の光』、昭和28年>には、「端島ボーイスカウト結成式に列して」の記事があります。


 <『炭の光』、昭和32年>には、「端島の山岳部発足」の記事があり、端島文化連盟では昭和三十二年度から新設、2月に結成式が行われたこと等が書かれておりました。また、<『炭の光』、第168号、昭和39年4月17日>には園芸同好会の記事があり、<『炭の光』、昭和30年>には、五月の行事として下記の記載がありました。

一日弓道大会於弓道場個人、団体別競技
一日〜七日バレー大会於バレーコート各職場対抗
二日活花講習於体育館
八日撞球 選手招待於撞球場
八日、二二日謡曲練習於清風荘
十日神社例祭於神社
十六日絵画研究会 講師招聘
十六日バスケット大会於校庭各職場対抗
十六日、十九日剣道練習 教士招聘
二十二日短歌会於清風荘講師招聘
二十九日〜六月十三日職場野球大会


 また、<『炭の光』、第100号、昭和33年5月1日>には、「端島舞踊部」、「端島弓道部」及び「端島撞球部」や「文化連盟陸上競技部の中に、この程マラソン部が結成された。」の記載があります。
 あと、<『炭の光』、第186号、昭和41年6月18日>には「端島にソロバン塾が誕生したのは、今から二年半位前で現公民館主事の赴任来島にはじまる。当初十数名の会員(小、中学生)が氏の熱心さと、人徳に導かれて、現在では何と百七十名にふくれあがり、二部授業をする状態なので、先生の苦労も大変だ。」の記載がありますが、おそらくは公民館(39号棟)にて実施されていたのではないでしょうか?。


島のいろいろへ

TOP