5号棟

 最終の5号棟 : 昭和25(1950) 木造2階 鉱長社宅
*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

写真
<先代?>
<写真は島の先輩より>

 閉山時に3号棟があった場所には木造住宅が建っていますので、それなりに古い写真のようです。5号棟ですが、左と下の写真を比較しますと、ベランダ?の位置が違う等の相違点が何点かあるようですので、左写真に写る5号棟については<先代?>として記載しています。
 なお、通説では最後の鉱長社宅は昭和25年に建て替えられたようになっているようですが、昭和25年当時に鉱長社宅に住んでおられた方のお話しでは、その時には建て替えは行われていないとのことでした。
 ちなみに、鉱山実習報文を基礎資料として書かれた論文の「明治期の高島炭坑端島坑の社宅街」の大正6年の図面では、5号棟の場所が「 5 副長 」と紹介されています。


写真<最終?>
<左写真は、長崎市高島町にある「端島模型」より>

 写真中央部分に写る建物が、島で一番偉かった端島砿の砿長社宅(5号棟)です。


〔 閉山後の光景 〕

写真<2004年3月撮影>
 基礎とかは残っているかも知れませんが、遠くから見ると社宅跡には何も見えません。野母崎半島側からの撮影です。


写真<2016年撮影>
 山道からの階段が登り詰めた場所ぐらいから3号棟との間にかけて建っていました。塀に囲まれていて、広い庭や縁側がありました。


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