3号棟(4号棟含む)

 最終の3号棟 : 昭和34(1959) 鉄筋コンクリート造4階 職員住宅(風呂・電話・チャイム付)
*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

 最終の3号棟は木造時代の3号棟と4号棟の両方の敷地を使って建てられていますので、当該ページでは4号棟についても記載させていただきます。

〔 木造時代 〕

写真絵葉書《長崎港外三菱端島炭坑五階屋社宅》の部分拡大
  <昔の絵葉書より 提供受絵葉書>

 石積の上にある木造二階建が4号棟になるかと思います。なお、残念ながら、木造の3号棟の姿は見えていません。


写真
《昭和32年第28回メーデー ビルの谷間をデモ行進》
  <写真・説明は、「端島(軍艦島)」(平成16年)より高島町教育委員会の許可を頂き転載>

 写真左側には石積があり、その上には、鉄筋コンクリート造4階の3号棟(昭和34年完成)ではなく、細長い木造住宅が建っていますが、昔の地図を見ていると、木造住宅部分の右側(中央から奥の方)が4号棟で、左側(手前の方)に3号棟が僅かに見えているようです。

写真
<出典:アサヒグラフ 1948 8月25日号(朝日新聞社東京本社・昭和23年発行)>
 植物の世話をしている人が立っている場所が14号棟(中央社宅)で、写真右上に写っている建物が3号棟と思います。


〔 最終 〕

「 産経WEST 」に
「長崎・軍艦島でのアパート建設を撮影…1950年代の写真見つかる 炭鉱を運営した三菱グループの社宅など(1-2ページ) - 産経WEST」
https://www.sankei.com/west/news/170119/wst1701190025-n1.html?fbclid=IwAR2LVOzSi_fY70YHhsJIQEUlIlt11L0iSjc1-RBku8Z8SSHEjqeEAOCebfY
の記事があり、最終の3号棟が建設中の時の写真が掲載されています。

 また、別の建設中の写真では、57号棟のすぐ北側(65号棟側)ぐらいに資材を揚げるためでしょうか高い塔が建っており、57号棟の屋上から、万里の長城のような高い運搬路らしき構造物が3号棟に向かって延びています。なお、その時は、57号棟の屋上から16号棟の屋上に向かっても運搬路らしき構造物が延びていて、16号棟の屋上も資材置場等に利用されていたようです。

写真<左写真は、長崎市高島町にある「端島模型」より>
 神社や隣の5号棟(鉱長社宅)よりも高く、島で一番高い所にあった住宅です。この社宅、風呂・電話以外にもチャイムが付いておりました。


〔 閉山後の光景 〕

写真 2004年3月野母崎方向から撮影ですが、かなり崩落が進んでいるようです。


写真 上段の写真から13年後に、同じ、野母崎方向から撮影です。かなり、壊れてはいますが、上段写真から、目立って崩落は進んでいないようにも思えます。


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