71号棟・体育館

 最終の71号棟 : 昭和45(1970) 鉄筋コンクリート造2階 体育館
*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

写真<左写真は、長崎市高島町にある「端島模型」より>
 <2013年 端島小中学校同窓会 同窓会名簿>に記載の「端島小中学校・同窓会沿革」には、「1970年(昭和45年)3月31日 体育館・格技室・給食室が完成。鉄筋・鉄骨コンクリート造2階建てで、1階は格技室と給食室、2階は体育館」や「同年5月 給食業務を高島町学校給食校舎に委託」の記載があります。なお、最後の体育館ですが、1階の格技室には柔道場・剣道場があり、2階体育館ではバレーやバスケット等ができて、集会等も行われていました。中学生の時の新入生対面式も懐かしい思い出の一つです。

 ちなみに、体育館を建設する際には、体育館直ぐ隣の道路が工事の影響により通行止めとなるために、学校海岸で荷揚げした生活用品等を島の各所にトラックで運搬するための代わりの道を設ける必要が生じましたが、その代替道路は、学校海岸から学校1階の技術科教室横を通り、学校グランドを護岸に沿って回り、グランドにある正門の坂道(1m位の高低差)を登り、65号棟とテニスコートのいつもの道に出てました。グランド内は、トラックが通る部分には、木の塀が出来て、狭いグランドがなおさら狭くなり、その年は運動会が中止で、足が遅い私には、大変ラッキーな年でした。


写真
《s47_12義士祭武道大会》   <写真は島の先輩より>

写真<写真は島の先輩より>
 背景を考えると、昭和40年後半だと思います。


 以下に、端島における体育施設の変遷を分かる範囲で記載させていただきます。なお、最終校舎の講堂も体育の授業に使用していましたし、先代校舎にも講堂があったようです。


区分設置年廃止年場所規模内容
最終S45S49最終校舎横2階建て1階:柔道場・剣道場・給食施設、2階:屋内体育施設
先代S36頃S44頃最終校舎横平屋「炭の光(昭和36年)」には、「学校横の貯水タンク跡に完成」や「三十四年九月の台風で倒壊した木造二階建ての、旧道場とちがって、ブルーモルタル塗りのスマートなもので、これには耐火建築がほどこされてあり、四十五畳敷きの柔道場、軽量鉄骨づくりの高い天井などは、みるからに近代設備の体育館である。さいきんまで学校の講堂を借りて練習し、不便をかこっていた剣道部員のよろこびも、またひとしおといったところ。」等の記載があります。
先々代S26頃(剣道場として)S3451号棟が建つ前2階建て1階:体育施設、2階:広場?
砿業所武道場兼体育館と呼ばれていたようです。「炭の光(昭和26年)」には、「端島剣道部を始め各愛好家は、腕は鳴るが道場が無かつたので、思う様に練習も出来ない儘に過して来たが、此の程、舊礦長の厚意に依り、立派な剣道場が協和クラブ階下に出来た。」との内容が記載されています。なお、上記記載や「昭和十五年四月三日生花大会 於端島道場」の写真から、当該建物自体はもっと古くからあったように思っています。
初代?不明不明57号棟が建つ前平屋?島の先輩に伺いましたが、先々代校舎(おそらく初代校舎)の中に、雨天体操場が設けられていたそうです。


〔 閉山後の光景 〕

写真<2004年撮影>
 既に骨組みのみとなっています。


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