7号棟

 最終の7号棟 : 昭和28(1953) 木造2階  職員クラブハウス
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  • 大正4年 三菱倶楽部高島支部端島倶楽部増築を認許する。
    <「三菱社誌刊行会編纂 『三菱社誌第二十二巻』(財)東京大学出版会(昭和55年復刊)」より>
  • 大正11年 高島支部端島倶楽部建物焼失
  • 大正13年 三菱倶楽部高島支部端島倶楽部建物落成ス、工費九千圓トス
    <「三菱社誌刊行会、『三菱社誌 33』、財団法人 東京大学出版会、昭和56年復刊、6554頁」の「社誌第三十一巻 大正十三年 三月十三日 高島支部端島倶楽部建物落成」より>

写真<先代>
<出典:アサヒグラフ 1948 8月25日号(朝日新聞社東京本社・昭和23年発行)>

 掲載誌の発行年を考えますと、閉山時の「職員クラブ」の先代となる建物でしょうか?。


写真<最終>
<左写真は、長崎市高島町にある「端島模型」より>
 高低段差のある敷地にセットバックしているので実質3階建てと言える。高級職員の集会、宴会、応接、娯楽(ビリヤードや囲碁・将棋等)等に使われたほか、会社の仕事関係の出張者や来島客の宿泊所の機能を果たしていた。海底水道完成以前(3号棟建設前)からの建物で内湯があったのは鉱長社宅と職員クラブのみであるが、高級職員及びその家族は共同浴場にゆかず、ここを利用していたようである。なお、一般人(例えば、行商人等)は25号棟の1・2階の旅館清風荘(昭和6年建築)に宿泊していた。
 <阿久井喜孝 他 編著『軍艦島実測調査資料集』東京電機大学出版局(1984)p.668・660より>

 島の高い場所にあった建物で、高級感が漂う、職員さんのシンボル的建物だったように思います。


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