15tクレーン

 15tは閉山時の数値です。
*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

写真《長崎港外三菱高島礦業所 端島坑 (第三竪坑方面)》
  <所有絵葉書>

 年代としては大正11年から昭和4年にかけての撮影と思っている絵葉書です。煙突の先にある櫓が第三立坑櫓で、煙突の右側には第二立坑櫓(初代)が写っています。
 そして、絵葉書の左下、閉山時に15tクレーンがあったドルフィン桟橋の直ぐ横の場所と思われる箇所にはクレーンが見えています。


写真《 (長崎港外)端島炭坑全景 All-view of Hajima Colliery Nagasaki. 》
  <所有絵葉書>

 少し欠けてはいますが、こちらの絵葉書でも左下にクレーンの姿が写っています。ちなみに、絵葉書には風景印があり「13.6.16」の日付らしき数字から、遅くとも大正13年迄には、この地にクレーンが設置されていたものと思っています。


 上段絵葉書に写るクレーンとは別情報かも知れませんが以下にクレーン情報を記載させていただきます。

名  称海岸起重機新設費備      考
起業費3,400.00円
<三菱社誌刊行会、『三菱社誌 二十六』、財団法人 東京大学出版会、昭和五十五年復刊、3352~3356頁>に記載の「社誌第二十三巻 大正五年 十二月二十五日 大正六年度各炭坑起業費」より
竣工年月日大正6年12月30日
打切
<三菱社誌刊行会、『三菱社誌 二十七』、財団法人 東京大学出版会、昭和五十五年復刊、3774~3777頁>に記載の「社誌第二十四巻 大正六年 六月三日 二子海岸石垣築造外竣工 端島ノ部」より
決算金額5,273,16円


写真
<出典:アサヒグラフ 1948 8月25日号(朝日新聞社東京本社・昭和23年発行)>
 クレーンが載っているコンクリートの台の形から、閉山時に15tクレーンがあった場所のクレーンかと思いますが如何でしょうか?。
 ちなみに、写真の説明には、「島と長崎を結ぶ連絡船は一日三往復する 岸壁に横づけにならないので ハシケが使われる 時化に備えて夜は陸につりあげておき 日の出と共にクレーンで下ろす」の記載があります。

写真《長崎港外三菱高島礦業所 端島坑 (第三竪坑方面)》<所有絵葉書>の部分拡大
 最初の絵葉書の左下部分を拡大し、矢印を追加して説明させていただきます。
 赤色の矢印の先にはハシケが見えるようです。また、黄色の矢印の先の構造物は、大正11年設置とされる「上陸桟橋(クレーン式)」の設備ではないかと思いますが如何でしょうか?。

写真《長崎港外端島名勝 表海岸》  <所有絵葉書>
 絵葉書に矢印を追加して説明させていただきます。
 黄色の矢印の先の構造物は、大正11年設置とされる「上陸桟橋(クレーン式)」の設備ではないかと思っていて、場所的には上段写真と同じ場所を反対方向から見る光景となるかと思います。赤色の矢印の先ですが、二艘のハシケを積み重ねています。


写真<写真は島の先輩より>
 もしかしたら、15tクレーンの場所ではないかと思っていますがいかがでしょうか?。
 最初、写真だけを見ると、炭車を陸揚げする時の光景かと思いましたが、暫くして、タイトルを見たら、「砂荷揚 S.8年」となっており少し驚いた次第です。
 クレーンの滑車から炭車がぶら下がり、小舟の上にも炭車が載っています。しかし、私自身、「硬」の荷揚げは覚えていますが、物忘れが激しいせいか「砂」の荷揚げは覚えていません。何時の頃までこのような方法で荷揚げが行われていたのでしょうか?。


写真
<写真は、祖父・父が端島に住んでおられた方より>
 写真左上にクレーンがあって、その先には石炭積込桟橋が見えています。クレーンがある場所は閉山時にあった15tクレーンの場所ではないかと思いますが、閉山時のクレーンとは形が違うようです。

《昭和31年8月19日撮影》
  <高比良勝義氏(元島民)撮影>

 台風被災時の光景です。円の台座がある場所は閉山時にあった15tクレーンの場所かと思いますが、台座上のクレーンは台風にて飛ばされたのでしょうか、その姿はありません。
 なお、閉山時は前後にも動けるクレーンでしたが、この時は台座の形から回転のみができるクレーンのようです。


写真<写真は、「高島町十年の歩み(町制施行10周年記念)」高島町役場(昭和33年)より>
 二代目・ドルフィン桟橋が工事中の光景です。島とドルフィン桟橋とを結ぶ連絡橋の上に15tクレーンの姿が見えていますが、このクレーンが閉山時までありました。

写真<写真は島の先輩より>
 写真中央に写るクレーンが坑木の荷揚げを行っていた15tクレーンです。
 ちょうど、木製の坑木運搬船が泊まって坑木の荷揚げを行っている光景です。
 私の記憶違いならお許しをいただきたいと思いますが、坑木運搬船の中にはご家族で船の業務を行っていた方もいらっしゃたように覚えています。


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