長崎港(長崎港駅・臨海鉄道)

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

写真 2007年の大波止河口付近の光景です。写真中央に、蒸気機関車の動輪が設置されているのがお分かり頂けますでしょうか。
 その昔は、長崎駅が終着駅ではなく、その先にも、「長崎港駅」という名の駅がありました。位置的には、動輪の右側の方に、駅舎があったようです。
 また、私が子どもの頃ですが、この河口には多くの艀が係留されていたような記憶があります。

写真 蒸気機関車の動輪です。

この動輪の説明板から気になった点を列挙します。
 1897年(明治30年) 九州鉄道長崎駅(現浦上駅)開業。
 1898年(明治31年) 九州鉄道長崎線門司〜長崎間全通(早岐経由)。
 1905年(明治38年) 新長崎駅開業(旧長崎駅を浦上駅と改称)。
 1923年(大正12年) 出島岸壁一部完成。日本郵船長崎〜上海間定期航路、週2便開設。長崎丸と姉妹船上海丸就航。
 1930年(昭和 5年) 長崎−長崎港間開通。長崎港駅開業。上海航路連絡列車による旅客、手荷物等の取扱開始。
 1934年(昭和 9年) 有明線全通。長崎本線となり、旧長崎本線を佐世保線、大村線と改称。
 1942年(昭和17年) 関門トンネル開通。東京−長崎港間に特急「富士」運転開始。
 1943年(昭和18年) 上海航路廃止。長崎港駅は旅客営業を停止、貨物線として存続。
 1972年(昭和47年) 長崎トンネル経由新線営業開始。
 1976年(昭和51年) 長崎本線電化完成。
 1982年(昭和57年) 長崎大水害。長崎港駅廃止

長崎丸と上海丸以外にも神戸丸が就航していましたが、触雷や衝突事故により、昭和17・18年に沈没してしまいました。

写真《日本郵船株式会社 汽船横浜出帆日限表》  <所有資料>
 明治三十一年発行の新聞に掲載されていた広告記事の一部です。
 「伏木丸」には「四日市、神戸下関、長崎、三角」、西京丸には「神戸、下関、長崎、上海行」、そして、「山城丸」の記載には「門司、長崎、香港、木曜島、タオンスビル、ブリスベン、シドニー、メルボルン行」の航路記載があります。また、今回の掲載写真には割愛させていただきましたが、新聞広告記事の最後には、「神戸」出帆として「玄海丸」の記載があり、「下関、長崎、対馬、釜山、江川、芝罘行」の記載があります。
 上段の「動輪の説明板」によりますと、明治31年には「出島岸壁」は完成していないようですので、船はどこに接岸していたのでしょう、もしかしたら、沖合停泊でしょうか。
 明治の頃の長崎港も国際港で、外国航路や長距離航路の中継点となっているようです。もしかしたら、端島の石炭が船の燃料としてもお役に立っていたのでしょうか?。


写真 動輪の先には河口反対側の光景が見えます。もう少し、左に行くと、先代の大波止ターミナルがあります。
 岸壁には、コンクリートの構造物がありますが、鉄橋を支えていた部分と思います。その先ですが、ビルとビルの間に空間があり、木が生えておりますが、この部分に長崎駅までの線路が敷かれており、その線路と川沿いの道が交わる踏切がありました。
 昭和40年代前半の頃だと思いますが、詳しい時間は忘れましたが、朝、船で端島から出て来て浜の町に行く時に、その踏切で、貨物列車の操車のために長い時間、待っていた覚えがあります。ちなみに、入替用の機関車は蒸気機関車でした。
 また、その頃、線路の直ぐ脇には食事ができるお店があったと思います。当時の離島航路の乗組員の方が食事をされていた光景を覚えています。

写真 河口反対側の鉄橋を支えていた構造物の拡大図です。右側の凸部分は壊れているようですが、左側には往時?の凸部分が残っています。つまり、こちらには2個の凸部分があったようです。

写真左写真の構造物を上から見てみました。

写真 こちらは、動輪がある方の河口部分ですが、上段の写真と比べて、コンクリートの構造物の幅が広いようです。  また、こちらの側のコンクリート構造物には、4個の凸部分があり、左側2個の凸部分の上には、石が載せられ、更にその上車輪が位置しています。

写真 昔の絵葉書には、左側2個の凸部分の上には鉄橋が架けられ、右側2個の凸部分の上には鉄橋が架かっていない光景のものがあります。
 両岸にて、凸部分の個数が違いますので、途中で、計画変更になったのでしょうか?。

 <長崎港港湾計画資料、長崎港港湾管理者、昭和29年>によりますと、「臨海鉄道」として下記の情報が掲載されていました。
名称経営者分岐地点臨港駅名直接関係ある
埠頭名
幹線から臨港駅
又は主要地点まで
の線路長
臨港駅
又は主要地点から
埠頭迄の線路長
元船側線長崎港管理事務所長崎駅長崎港駅元船町物揚場0.2KM0.05KM
羽衣側線元船町出島岸壁0.2KM0.03KM
常磐町側線長崎港駅0.65KM0.65KM
長崎運送専用側線長崎運送(株)72.750M72.750M

写真<写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より>
 昭和49年度に撮影された航空写真です。写真左側中段部分に茶色の橋が見えますが、今回の話しに出てくる鉄橋です。
 鉄橋の右側に空地みたいな場所があり、長崎港駅だと思いますが、貨車の姿が見えないようです。出島岸壁には、何本かの線路が見えるようですが、上記図の羽衣側線・常磐町側線・長崎運送専用側線になるのでしょうか??。

〔 古 写 真 等 〕

写真
《出島日支連絡船発着所
 昭和10.9.2日要塞司令部検閲済 <所有絵葉書>
写真
《長崎港駅と出島岸壁》
  <出典:日本地理大系(改造社・昭和5年発行)>

 写真の説明には、「連絡船の長崎、上海丸姉妹船は、日本郵船会社の最新式優良船で、総噸数5,300、船客定員一等155名三等263名を収容する事が出来る。」の旨の記載があります。
写真
《(長崎名勝)岸壁ト長崎丸》 <所有絵葉書>
写真
《長崎港 岸壁と日本郵船長崎丸 昭和七年六月廿四日
長崎要塞司令部許可済
 <所有絵葉書>
写真
《(長崎)長崎港岸壁と日支聯絡船上海丸
  (9.2.3)(長崎要塞司令部検閲済)》  <所有絵葉書>
写真
《(長崎名所)日満・日支連絡船発着場出島岸壁
 (長崎要塞司令部許可済) 昭和12.1.25 <所有絵葉書>
写真
《(上海名所)日支連絡船長崎丸之着桟》 <所有絵葉書>
写真
《日本郵船株式会社 日支連絡船 》  <所有絵葉書>

長崎港へ


管理人雑学へ

TOP