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動輪の先には河口反対側の光景が見えます。もう少し、左に行くと、先代の大波止ターミナルがあります。 岸壁には、コンクリートの構造物がありますが、鉄橋を支えていた部分と思います。その先ですが、ビルとビルの間に空間があり、木が生えておりますが、この部分に長崎駅までの線路が敷かれており、その線路と川沿いの道が交わる踏切がありました。
昭和40年代前半の頃だと思いますが、詳しい時間は忘れましたが、朝、船で端島から出て来て浜の町に行く時に、その踏切で、貨物列車の操車のために長い時間、待っていた覚えがあります。ちなみに、入替用の機関車は蒸気機関車でした。 また、その頃、線路の直ぐ脇には食事ができるお店があったと思います。当時の離島航路の乗組員の方が食事をされていた光景を覚えています。 |
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河口反対側の鉄橋を支えていた構造物の拡大図です。右側の凸部分は壊れているようですが、左側には往時?の凸部分が残っています。つまり、こちらには2個の凸部分があったようです。
左写真の構造物を上から見てみました。 |
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こちらは、動輪がある方の河口部分ですが、上段の写真と比べて、コンクリートの構造物の幅が広いようです。
また、こちらの側のコンクリート構造物には、4個の凸部分があり、左側2個の凸部分の上には、石が載せられ、更にその上車輪が位置しています。 |
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昔の絵葉書には、左側2個の凸部分の上には鉄橋が架けられ、右側2個の凸部分の上には鉄橋が架かっていない光景のものがあります。 両岸にて、凸部分の個数が違いますので、途中で、計画変更になったのでしょうか?。 |
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<長崎港港湾計画資料、長崎港港湾管理者、昭和29年>によりますと、「臨海鉄道」として下記の情報が掲載されていました。名称 | 経営者 | 分岐地点 | 臨港駅名 | 直接関係ある 埠頭名 | 幹線から臨港駅 又は主要地点まで の線路長 | 臨港駅 又は主要地点から 埠頭迄の線路長 |
元船側線 | 長崎港管理事務所 | 長崎駅 | 長崎港駅 | 元船町物揚場 | 0.2KM | 0.05KM |
羽衣側線 | 〃 | 元船町 | 〃 | 出島岸壁 | 0.2KM | 0.03KM |
常磐町側線 | 〃 | 長崎港駅 | 〃 | 〃 | 0.65KM | 0.65KM |
長崎運送専用側線 | 長崎運送(株) | 〃 | 〃 | 〃 | 72.750M | 72.750M |
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<写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より>
昭和49年度に撮影された航空写真です。写真左側中段部分に茶色の橋が見えますが、今回の話しに出てくる鉄橋です。 鉄橋の右側に空地みたいな場所があり、長崎港駅だと思いますが、貨車の姿が見えないようです。出島岸壁には、何本かの線路が見えるようですが、上記図の羽衣側線・常磐町側線・長崎運送専用側線になるのでしょうか??。 |
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