長崎本線旧線(長与経由)

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〔 道ノ尾駅 〕

写真<2009年3月撮影>
 長崎市北部にある道ノ尾駅の現在の姿です。
 『長与町教育委員会、長与町郷土誌 下巻、長与町、平成8年、頁数434』によりますと、明治30年の開業とあります。

写真<2009年3月撮影>


写真 その昔、長崎新線が出来る前は、当然ながらこの線路を、特急「さくら」も走っていたのではないかと思います。
 さて、左側ホームの手前には線路がありますが、右側ホームの手前にはありません。構造からして、昔は、右側ホームの手前にもレールがあり離合が行われていた駅だと思いますが、長崎新線ができて長崎本線旧線(長与経由)を通る列車が減少し右側ホームの手前のレールが撤去されたのでしょうか。

写真<2009年3月撮影>
 少し高い所からの撮影です。


写真 右側ホームにある案内標識ですが、「こうだ」の文字は「後日」貼られているようですので、道の尾駅と長与駅の間に新たにできた「高田駅」の設置前から、この案内標識はあったのでしょうか。


〔 高田駅 〕

写真<2009年3月撮影>
 『長与町教育委員会、長与町郷土誌 下巻、長与町、平成8年、頁数434』によりますと、平成6年の開業とあります。

写真<2009年3月撮影>


写真<2009年3月撮影>

写真<2009年3月撮影>


〔 長与駅 〕

写真<2009年3月撮影>
 『長与町教育委員会、長与町郷土誌 下巻、長与町、平成8年、頁数435』によりますと、明治30年の開業とあります。また、同誌p.433には、長崎(浦上)〜長与駅間の運行が開始されたのは明治30年7月で、長与〜大村間の開通は明治31年11月、これは松ノ頭トンネル(1,093.55m)の工事が遅れたためで、その間、長与から大村まで(最初の約6か月は早岐まで)は、海上輸送にたよっていた旨が記載されています。なお、同誌p.493に、開通当時のこととして、長与駅で下車した乗客は、人力車で船津の船着場に直行し蒸気船で大村湾を横切って早岐まで行き汽車に乗りかえたことや、長与駅前には常時160台ばかりの人力車が待機していたといわれたこと、また、船津の船着場からは、5、60人乗りの蒸気船が10隻ほど大村・早岐・川棚などと連絡していた旨が記載されています。


写真<2009年3月撮影>
 長与町中尾城公園から見た長与駅周辺の光景です。


写真<2009年3月撮影>

写真<2009年3月撮影>


写真<2009年3月撮影>
 本川内駅方面です。

写真<2009年3月撮影>
 高田駅方面です。浦上駅を過ぎて、初めての離合可能な駅です。


写真<2009年3月撮影>
 高田駅方面です。2本の線路の右側に、もう1本の線路とホームがありますが、現在では使われていないようです。

写真<2009年3月撮影>
 草が生い茂っています。


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