伊能忠敬『測量日記』
八月十八日
晴天。六っ半頃(午前7時頃)に稲佐郷、又浦を出立。乗船して五っ時後(午前8時過ぎ)に長崎町へ着く。
乙名の春野半兵衛と横瀬半三郎が出る。四っ半頃(午前11時頃)立山役所(長崎歴史文化博物館)へ届けに出る。当時(この時)の御奉行遠山左衛門尉(景晋。テレビ番組で有名な遠山金四郎景元の父)の用人の福田仁右衛門と手付の豊田源治左衛門に挨拶する。
長崎町の止宿、炉粕町の大同庵(皓台寺の末寺で、大同山慈雲寺の前身。東彼杵郡上波佐見村中尾郷に移った。当時は本覚寺の横にあった。大谷亮吉編書の『伊能忠敬』によると肥前国彼杵郡長崎炉糟町の緯度は32度45分00秒と計測している。これはパソコンで調べても、誤差は少ない)に一同で泊まる。
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背景の地図は、長崎市長の承認を得て、同市発行の1万分の1地形図を複製したものです。
※長崎市都市計画課承認番号 長都計第10号 平成21年4月9日 |