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伊能忠敬『測量日記』

八月二十二日


 晴天。長崎に逗留して市中を測る。

 椛島町
(樺島町)の海辺。中ノ波戸に印を残して初める。東西の浜町の通りを測る。左右横町は椛島町。四辻の印に繋げる。

 左右は椛島町本通り。木戸。平戸町。左右は平戸町本通り。右に外浦町、左は大村町。四辻。左は大村町、右は外浦町本通り。
印に繋げる。

 島原町。四辻
(現在は三辻)。右は外浦町。左は島原町。用意に印を残す。

 左右の横町を本下町
(現在は万才町に含まれる)という。左右は本下町。右横町は片側の町(片側が川になっている。)で本下町横町という。石橋(現在は暗渠で橋はない)一間(1.82m)。町の界。西築町。左右は横町。両側共に西築町横町。四辻。右横の町の内、右側は西築町。左側は東築町。左横町も前と同じ。東築町。大橋(現在の鐵橋)十四間(25.45m)。西浜町。右に制札(西浜町の川端の電停付近)。四辻。左右の横町は測量済み。印に繋げる。

 四辻。左右横町は西浜と東浜町。左横町は万屋町へ出る道。右は横町。石橋
(現在は暗渠で橋はない。観光通り)一間(1.82m)。左右は横町。右横の町は東浜町。鍛冶屋町(浜町に含まれる)。左右横町は東浜町。石橋(現在は暗渠で橋はない)二間(3.64m)。木戸。四辻。左右は横町。今鍛冶屋町。出来鍛冶屋町。四辻の印に繋げる。

 左右の町の測量は前に済んでいる。思案橋通り。油屋町。左横町は油屋町。三辻
(現在ここは四辻になっているが以前は三辻であった)印を残す。

 油屋町本通り。右側ばかり。聖寿院
(現在はない)の門前。新石灰町。左側は郷方高野平(現在は高平町)。四辻(現在は三辻)。木戸。印を残す。

 右側は今石灰町。左側は新石灰町。四辻。木戸。直に通る。前と同じ。左横町の木戸より先は油屋町。左右は今石灰町。木戸。今篭町
(現在は鍛冶屋町)。右に臨済宗聖寿山崇福寺(監寺は和僧の喝山)。唐人の寺である。右に一向宗大光寺(当時の住職は達了)の門前。左に山伏泉良院。一向宗南光寺(住職は居らず、看坊のみ)。右に浄土宗正覚山大音寺(住職は十二代・輝譽)。御朱印二万六百三十坪五合。長崎奉行の松平図書頭(文化五年のフェートン号事件の責任をとって自刃した)の墓がある。木戸。出来鍛冶屋町。四辻の印に繋げる。一十四町三間一尺(1,533.03m)

 又、飛んで右に新石灰町と左に今石灰町の四辻の印より初める。御料所長崎村の内、高野比良郷を測る。左に天台宗顕応寺(現応寺。現在の八坂神社の位置に在った。住職は十四代・興顯)。境内に祇園社(現在は八坂神社。この時は現在の八坂授産場の位置に在った)がある。左に真言宗清水寺(住職は十三代・賢應)。右に修験聖寿院(現在の西田内科付近。住職は五代・寛儼)。左に真言宗長崎山清水寺。高野比良郷の在所は家が散らばってある。左に真言宗聖寿山文珠院(現在は無い。住職は十二代・大屯)。愛宕登り口。華表迄測る。愛宕山願成寺(現在は愛宕神社。住職は九代・大雅)。四町二十五間五尺(483.33m)

 又、飛んで市中油屋町の三辻の印より初める。思案川(現在は銅座川)の石橋六間(10.91m)。三辻(正覚寺への登り口)の印を残す。茂木村への横切りの初め。

 右は本石灰町、左は高野平小島郷の市中限り
(正覚寺の入り口の三辻)印を残す。四十二間(76.36m)

 又、の印より初める。右の思案川に添って、左片側の町が本石灰町内の横町。左に修験金剛院(現在の大崎神社付近)。四辻。思案橋の端の印に繋げる。二町三十間一尺五寸(273.18m)

 又、船大工町。三辻の印より初めて、船大工町本通りを測る。船大工町。本篭町(現在は籠町)。左に真言宗青竜山大徳寺(現在は梅香崎神社・天満宮。この時の住職は七代・豁文)。御朱印千三百七十坪。唐館の外構を測る。木戸。長崎村十善寺郷。石橋(現在は暗渠、ここから『みさき道』の一部)。十善寺郷の人家。右に唐人遠見番長屋(長崎市十人町4・5・6)。大村領戸町枝大浦。御料所と大村領の界にの印を残す。五町二十七間(594.55m)

 又、船大工町の三辻の印より初める。左右の横町は船大工町裏町。土橋九間(16.36m)。木戸。銅庄跡(現在は銅座町の歓楽街)。左右の横町に名はない。左右の横町は銅庄跡横町。板橋二間(3.64m)。西浜ノ町の新道通りの三辻に印を残す。

 これより新地へ打ち出す。左に薩州屋敷
(現在の三菱信託付近)。右の横町は築地。石橋の柱へ繋げる。印を残す。三町三十間(381.82m)

 又、西ノ浜町の印より初めて、西浜町裏通りを行く。右に五島福江富江屋敷。三辻。左横の町は裏町通り。三辻。二股川岸に出て、印を残す。

 これより長久橋手前に埋めた杭迄の三十間
(54.55m)を重ねて測る。これは埋めた杭の上へ誰かが置き土をしたので印を失ったため。長久橋の元巾は十三間(23.64m)印に繋げる。東築町(現在は江戸町と築町に分かれていて、大部分が中島川になっている)。長久橋の左の柱に繋げて、印を残す。

 左右の横町は川端の通り。東築町横町。四辻。右横町の内、右側は東築町。左側は西築町(現在は手前側に江戸町、324号の向こうが築町に分かれている)。左横の町の左側は東築町(現在は江戸町)。右側は西築町(現在は江戸町)。右横の町の名はない。板橋三間(5.45m。現在は暗渠)。本下町。四辻に印を残す。

 左右の横町は本下町。右横の町の名はない。外浦町。三辻。右横の町は外浦町裏。木戸。左に御船番長屋。西御役所の三辻の印に繋げて終わる。四町二十八間(487.27m)

 又、飛んで樺島町海辺。大波戸場にある制札の右柱の印より初めて、江戸町通りの西御役所裏の通りを測る。木戸。江戸町。出島入り口。横町。出島屋敷門前の石橋まで一本の支線を引き出す。石橋の右柱の角に印を残す。九間(16.36m)

 左に船番屋敷の門前。木戸。本下町の四辻の
印に繋げて打ち止める。三町二十八間(378.18m)。総測一里二町三十四間一尺五寸(4,207.73m)。

 八っ時後(午後2時過ぎ)に宿へ帰る。この夜は晴天で観測する。


背景の地図は、長崎市長の承認を得て、同市発行の1万分の1地形図を複製したものです。
※長崎市都市計画課承認番号 長都計第10号 平成21年4月9日
大音寺 長崎奉行松平図書頭の墓

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