伊能忠敬『測量日記』
八月二十四日
朝は曇りで四っ頃(午前10時頃)から晴れる。又、午後より数度小雨が降る。同所に逗留して測る。
六っ半時頃(午前7時頃)に出立した。御料所の浦上村を測る。神崎御台場(外国船の警備に大砲などを配備した場所)前。十七日の打ち止めより初めて、沿海を順に測る。(神崎から太田尾付近は現在増田石油の敷地内。女神大橋のすぐ下)
左は神崎御台場。左に三十間(55m)ばかりに第五番の御台場があるそうだ。山上に新御台場。右にイガヅ岩。雷崎。釣鉄岩。ここより入江の向こう(女神)へ鉄縄を引く元岩である(オランダ船や唐船以外の外国船が入港するような緊急時に、対岸の女神へ鉄縄と小舟を並べるようにしていた)。左に男神ノ社(神崎船魂社。この時の宮司は七代 内田右京介善貞)。左の山を天文ヶ峯という。左は大多尾(太田尾)御台場下。左に寝小屋。スズレ崎。左の山上に御台場がある。淵村の内、西泊郷西泊浦。左に西泊御番所(西泊側のトンネル付近)。黒田藩と佐賀藩が交代で勤める。当時は黒田藩の番。右に御番所船着き場。左に仕丁小屋。左に御番所入り口。番所迄三十間(55m)ばかりである。左の山上に遠見番。遠見崎。タダケノ鼻。淵村の内、立神郷。庄太郎宅で昼休み。
同岩瀬道郷。八軒屋身投崎。左の山上に新御台場。身投岩(現在は埋め立てられて無く、三菱重工業敷地内)、高さ三十間(55m)ばかり。飽ノ浦郷。飽ノ浦川尻は巾十二間(21.82m)。裸島(現在は三菱重工業敷地内で存在しない)、周囲は三十二間(58.18m)という。遠測する。左は恵美須社(この時の宮司は四代・柳木内蔵頼直)。瀬ノ脇浦。水ノ浦郷。左に筑前抱屋敷(水の浦公園付近)。水ノ浦郷の人家の限りに打ち止め。沿海の総測は一里一十一町五十五間(5,227.27m)。
それより乗船して八っ半時頃(午後3時頃)に宿へ帰る。この夜星を観測する。
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