伊能忠敬『測量日記』
八月二十八日
晴天。長崎に逗留して測る。六っ半頃(午前7時頃)に出立した。
彼杵郡大村領戸町村の内、字女神崎。昨日の打ち止めより初めて、沿海を測る。クイ違い曲がり崎(現在、長崎検疫所がある)という。これより先を長崎入江外という。左に白崎御台場、佐賀藩持。佐嘉領小嘉倉村(小ヶ倉町)字前原ノ浜。沿海を打ち止めて、前印を残す。地方の沿海九町一十八間一尺(1,014.85m)。野陣で小休止。
これより島々へ渡る。佐嘉領小嘉倉村属高鉾島。御台場下の測遠の幟より初めて右山の方に測る。御台場。寝小屋。右に塩硝蔵。西白崎。野陣で小休止。初めの幟に繋げる。高鉾島は一周六町五十間四尺(746.67m)。
又、佐嘉領深堀村属蔭ノ尾島。字長刀崎(長崎市香焼町)の測遠の幟より初める。この長刀崎は満切りで、満汐には島となる。長刀崎鼻。片測一十五間(27.27m)。出鼻より蔭ノ尾島へ瀬続き。満切りで二十一間(38.18m)。カ印を残す。
右山の方に測る。五枚の浦。入江奥の五印迄、沿海六町一十間(672.73m)。
これより山越えして横切り、向かいの海辺の字小瀬戸浦へ出て、小印を残す。横切り三十九間(70.91m)。野陣で昼休み。
又、五印より初めて、沿海を測る。東崎。小瀬戸の横切小印に繋げる。沿海八町三十六間一尺(938.48m)。
香焼島への渡り口。瀬戸巾は四十八間(87.27m)。香焼島へ香印を残して置く(蔭尾島は香焼島とつながり、三菱長崎造船所になっている)。
又、元の蔭ノ尾島を測る。西出崎。野陣で小休止。網破浦。蔭ノ尾御台場。右の山の上に新規の御台場がある。寝小屋。初めの幟カ印に繋げて終わる。
沿海二十二町一十二間五尺(2,423.33m)。蔭ノ尾島は一周一里五十九間(4,034.55m)。横に二町三間(223.64m)。島の合計一里七町四十九間四尺(4,781.21m)。地方の沿海九町一十八間一尺(1,014.85m)。総測一里一十九町十間五尺(6,019.70m)。
それより乗船して七っ半頃(午後5時頃)に宿へ帰る。この夜、星を観測する。
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