○ゑはかき(村雨丸・夕顔丸・小鷹丸)
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《高嶋炭坑ゑはかき》 <所有絵葉書>
村雨丸・夕顔丸・小鷹丸の三隻が写っていますが、中央に位置する船は村雨丸です。私の感覚からすると、夕顔丸が絵葉書の中心にと思うのですが、当時の高嶋では村雨丸がメジャーなのでしょうか。
村雨丸の船尾後方には桟橋らしき構造物が見えますが、尾浜の桟橋?でしょうか。また、村雨丸の操舵室の姿と、「軍艦島実測調査資料集」(追補版)152ページに有る「写真796」の右下に写っている船の操舵室らしき姿が似ていないでしょうか。昔は多くの船が在籍したでしょうから、勿論、断言は出来ませんが・・・。
なお、高島炭坑の所属となったのは、
村雨丸が大正3年で、
小鷹丸は明治29年のようです。