〔 加地 英夫 様 〕
長崎端島会の加地英夫様が、ご自身が閉山時に描いた絵を基に、端島の紹介や絵の経緯並びに端島青年団々歌の情報を加えて、ポストカードを作成されました。
タイトルは「望郷の端島 1」で、近々、第二弾の作成も検討されているとのことです。
なお、加地様のお話によりますと、端島青年団は、春には山神際の御輿担ぎ、盆の精霊流しの時には精霊船を沖まで泳いで運んだり、年の暮れには餅つき(高浜から商売で来られた餅つきの方もいらっしゃったとのこと。)を行っていたそうで、それ以外にも演劇・舞踊などを行い、島民のための活動を行っていたそうです。また、端島青年団の構成員は、会社の独身寮の方もいたが、殆どが端島の学校を出られた方だったとのことで、男子のみならず、女子青年団もあったそうです。
立坑櫓が二本ある島の姿です。また、学校グランド付近の海上にはテトラポットの姿も描かれております。閉山の頃を知る島民にとって、非常に懐かしい光景です。
ちなみに、この光景は高浜からの光景ではなく、連絡船が、中の島を回ったところぐらいからの光景とのことです。
なお、加地様ですが、平成27年12月には
長崎文献社から、
「私の軍艦島記 端島に生まれ育ち閉山まで働いた記録」を出版なされています。
「 燃 ゆ る 孤 島 軍艦島22年間の思い出 」 (2016年3月 株式会社文芸社) 元島民の内田好之様による作品です。書籍の詳しい内容は下記リンク先をご覧願います。
http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-17089-3.jsp 昭和16年から昭和38年までの端島での生活のことが書かれています。書には、戦時中に30号棟屋上に設けられた速射砲のことや原爆投下時の島の様子、また、昭和34年当時の体育館が台風により倒壊する様子など、ここには書き切ることができない程のたくさんの事柄が非常に詳しく書かれていますが、著者・内田好之様並びに発行所・株式会社文芸社様よりご了承をいただきまして、30号棟屋上に設置された速射砲と原爆投下時の島の様子のイラスト2枚を以下に掲載させていただきます。島の歴史を知るうえで非常に重要なイラストであると思います。
<著者・内田好之様並びに発行所・株式会社文芸社様のご了承を得て掲載>
30号棟の屋上に設置された速射砲の様子です。書の48・49ページには
「沈没した石炭船(船名は白寿丸 三千五百トン)から武器である速射砲を引き上げ、その速射砲を我が国最古の建物と言われている鉄筋コンクリート造七階建ての三十号社宅の屋上に据えつけたのである。枕木を井桁に二段組んで、その上に据えつけた。
その速射砲の操作は元乗組員、つまり沈没した(白寿丸)に乗っていた海軍の兵隊さん四人で行われ、 ・・・(途中略)・・・ 当時、船の大きさが三千トン以上あると護衛のため、武器と兵隊が乗る決まりになっていたそうである。」や「雨の日も風の強い日も隊長さんの号令のもと厳しい訓練を行っていた。」や実際に発砲したことの記載もあります。
《 原爆投下の爆風によって発生した白波(爆心地より20km) 》 <著者・内田好之様並びに発行所・株式会社文芸社様のご了承を得て掲載>
イラストの端島部分には、先代の学校校舎(木造)とその横にあったプールやボタ浜が描かれています。また、書の53~55ページには
「昭和二十年八月九日、学校は夏休みの真っ只中。 ・・・(途中略)・・・ その日は天気が最高に良く、風もなく、海も穏やかだった。学校横の船着場から学校裏手にできる砂浜ならぬボタ浜まで泳いで渡った。」に続き
「私はひと泳ぎして、ボタ浜の中央付近に立っていた。その時、突然、青天だというのに、やや紫がかった青い光線が空全体に走った。」や「それから四、五分は経ったと思う。今度は生暖かい風が肌を撫でるようにして通り過ぎていった。結構、体が押されるような風圧を感じた。何とも表現しようもない、気持ち悪い感触だった。
それからさらに五、六分は経ったかと思うが、何気なく中ノ島の方へ目線を向けた。
すると驚くなかれ、中ノ島の先端部を定規で線を引いたみたいに、白波が一直線になって押し寄せて来ているではないか。異様な光景である。光線、熱風、白波の全てが長崎からの方角だった。」の記載があります。
「 あの頃の軍艦島~今も人々の声がきこえる 」 (2013年3月 株式会社産業編集センター) 元島民の皆川隆様による作品です。書籍の詳しい内容は下記リンク先をご覧願います。
産業編集センター出版部-SHCブックス http://www.shc.co.jp/book/detail/000241.html 1949年(昭和24年)に端島に移り住み、27歳で退職するまでの16年間を端島で過ごされ方の写真集です。中学生の頃から趣味であったカメラで島の生活を写真に収められたそうで、生活感あふれる写真がたくさん掲載されています。写真集には、20号棟と21号棟の間に、その昔にあった公園の写真等、昭和40年代にはなかった端島の写真がたくさん掲載されています。
元島民の日向香(旧姓:坪内松子)様の詩集です。
今も聴こえてくる
炭鉱櫓は活力の
音として今も私の
心の中に生きている
今は想いで達が
端島と言う名の
軍艦島を守っている
日向香
<資料は同級生より>
端島中学校最後の卒業生となる昭和49(1974)年卒業の「3年B組」による卒業文集です。
作成は閉山で慌しかった時期で、記載されている人の名前を見ると、卒業を待たずに島を離れ転校した方もかなりいるようです。
遠い記憶への玉手箱です。