○長 崎 港

*本HPの写真・図版等の転載・転用等を固く禁止します。

《 長崎港(旧大波止ターミナル等) 》

写真
<2008年5月撮影>
 長崎市大波止にある先代の大波止ターミナルビルです。昔、この建物前の桟橋から、端島・高島等行きの野母船、木鉢・神の島・伊王島等行きの長崎汽船、造船所への通勤船、五島航路の船、その他航路の船が出ておりました。建設時期は昭和40年代中頃のようで、1階待合室の椅子は木製で、待合室の角にはうどん屋さんが、そして2階にはレストランがありました。そして、この大波止ターミナルビルが建設される前は、九州商船、長崎汽船(当時)、野母商船各社の待合室は、それぞれの別の建物ようで、私には工事中の大波止ターミナルビルの記憶がかすかに残っています。
 なお、現在では、このターミナルビルの左側に、新ターミナルビルができて待合室の機能は移転しておりますが、用途を替えて現役のビルとして頑張っています。
 なお、かなり昔ですが、ターミナルビルがある元船突堤の先の方に、サーカスが来たことがありませんでしたでしょうか?。ぞうさんに、芋を与えたような記憶があります。


写真
<2008年5月撮影>
ターミナルの反対側です。当事の光景が残っているような気がします。

写真<2008年5月撮影>
 ターミナルの反対側から少し長崎駅よりの交差点です。昭和40年代の前半かと思いますが「ウナギ釣り」のお店がありました。最終の便にて端島に帰る際等に遊ばせていただいた記憶がありますが、ウナギに針がかかっても、暴れられてすぐに糸が切れ、短い時間で終了していました。


写真
<1974(昭和49)年写真>
  <写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より>

 昭和49年当時の「大波止ターミナル付近」の光景です。一番上の桟橋には、双胴船が接岸しているように見えますが、ぐらばあ?、あじさい?、それとも別の船でしょうか?。一番下の桟橋ですが、五島航路のフェリーは出航しているようです。なお、一番下に写る桟橋ですが、ターミナルビルができる前は、下段写真にあるように、もっと河口側にありました。なお、その時は、フェリー用の設備はなかったかと思います。


写真
<1962(昭和37)年写真>  
<出典:国土地理院ウェブサイト (http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=557107)>
 昭和37年撮影の国土地理院ウェブサイト写真から、大波止付近を切り抜いた写真です。
 元船突堤はまだ工事中で、当然、大波止ターミナルもできていません。旅客船の待合所は小さな建物だったと思います。
 また、国鉄・長崎港線の鉄橋付近に浮かぶ、多くの艀がとても懐かしいです。


●客船の定期航路  <長崎港港湾管理者発行「長崎港港湾計画資料」(昭和29年)より>

(一部、不鮮明な箇所有。なお、夕顔丸は、貨客船に分類されていました。)
航路名経営者本航路の就航船舶寄港地本港寄
港回数
代表船
隻数総噸数船名総噸数速力
三重航路長崎自動車(株)海運部296.44式見、手熊、三重5回新海丸59.678.5
伊王島航路仝上3116.06木鉢、小瀬戸、伊王島8回新興丸57.138
福田航路仝上2122.90木鉢、小瀬戸、福田10回新昌丸78.589
野母航路野母商船(株)4184.00土井首、深堀、香焼、高島、端島、野母11回つや丸53.009.5
香焼航路第一商船(株)121.22土井首、長浜、香焼2回福神丸21.225
仝上川南工業(株)2208.63江川、香焼2回第1川工丸193.636
伊王島航路伊王島礦業所295.77伊王島2回光洋丸61.4210
 私が知る昭和40年代頃では、三重航路及び福田航路は既に廃止され運行されていなかったと思います。また、伊王島航路は長崎汽船のみ、香焼航路も野母商船のみだったと思います。


●浮桟橋(一部、不鮮明な箇所有)  <長崎港港湾管理者発行「長崎港港湾計画資料」(昭和29年)より>

名称所在地経営者寸法(M)総延長(M)水深(M)
区分一連二連三連四連五連
一号桟橋元船町長崎市18.218.221.018.418.4124.0-2.4-3.2-4.1-4.7-5.3
7.57.57.57.57.5
二号桟橋元船町長崎市15.618.2   48.6-2.4-3.2   
7.77.7   
三号桟橋元船町長崎市22.017.516.022.6 97.5-2.1-3.2-4.4-4.8 
10.910.510.210.2 


野母航路等情報(明治~昭和)へ

連絡船・桟橋へ

TOP

防波堤へ